ディラン好きの日記

転がる石のように

もしかして、みんなもう忘れてない?ボブ・ディランのこと。

名前を変え、声を変え、宗教を変えて“謎の男”になった。 

和久井光司”   

 受賞直後、各局では特集が組まれて、ディランは “反戦・平和を歌った人”  “時代の代弁者” として取り上げられた。どこかのコメンテーターが、「文学賞ではなくて、むしろ平和賞では?」と言っていたことにガックリ来たのもつかの間、ディランについては、受賞したのにコメントも出さない “無愛想な人” という印象だけが残った。

“無愛想な人” というのは、あながち間違ってはいない。

人に褒められると、逃げるように自分のスタイルを変えてきた。フォークシンガーとして名を馳せたら、すぐにロックへ転身し、批判を浴びた。彼のロックが評価を得るようになるとバイク事故で隠居した。復帰後は、フォーク時代に戻ったかと思えば、カントリー調になり、レゲエに走ったかと思えば、急にキリスト教へ改宗し、ゴスペルっぽくなった。次に何をしようとしているのか、誰も予想できない。ボブ・ディランについて学ぼうとするほど、疑問符が増える。やっと追いついたかと思えば、もう遠いところにいる。ディランはそうゆう男なのだ。

それは、 遠藤賢司 風に言うならば“ライク ア ロォリング ストーン!”であって、常に同じ場所に留まっていない。彼のこのような性格は’65のニューポート・フォーク・フェスティバルから吹っ切れたように、現在まで続いている。ボブ・ディランは良くも悪くも、聴衆の期待を裏切り続けてきた人なのだ。

 

「どこが?」って言われたら即答できないの、ボブ・ディランって。

みうらじゅん” 

 だが、そこが魅力なのだ。

大衆に迎合しようとせず、やりたいことをやり、去って行ってしまう。そこに残された歌は、最初は受け入れられなくても、振り返ってみると傑作だと気づく。“わからなくてもいい”と言いながら、少しだけヒントを残してくれるから、全くわからないわけではない。先日発売された『MUSIC MAGAZINE 12月号』の中で湯浅学は「ちょっとずつわかるフレーズを入れていくから、全体がわかったような気になれるの。」と言っていたけどまさにその通りで、それぞれがわかったつもりでディランを聴き、語る。その答えはいつも“風に吹かれている”のだけれど。

  この本では、ディラン・ファンの第一人者とも言える二人、みうらじゅん湯浅学の対談があったのだけどそれがとても面白かった。

みうらじゅんがディランの息子にうどんを奢った話とか、ディランは落語っぽいとか、やはり真のディラン・フリークが話す事は違うなぁと思ったのだけど、そんな二人でも最後には「結局のところ、わからない(笑)」と言っている。

だから新参者には少々手厳しく感じるのだ。

私は今回ボブ・ディランノーベル賞受賞を受けての対談や記事を見ていて、自分の知っているボブ・ディランは、ちょうど’67年に起きたオートバイ事故の前で止まっているのだと気付いた。それくらい私はディランを知らないのだけど、別に焦ってはいない。50歳くらいでわかりゃいいかな、くらいの軽い気持ちでいる。

これからボブ・ディランを聴く人は、どうか私のように遠回りをして頂きたいと思う。具体的には、PP&Mが歌う『風に吹かれて』を、ザ・バーズの『ミスター・タンブリンマン』を、エリック・クラプトンの『天国の扉』を、ノラ・ジョーンズの『フォーエバー・ヤング』を始めに聴いて欲しい。そこからオリジナルであるボブ・ディランに入るのが、一番敷居が低い気がする。ただ、『ライク・ア・ローリング・ストーン』だけは始めからボブ・ディランのを聴くべきだ。

 

「同じ曲」であることを保証するものはディランにおいては言葉だけ。

 “堀内正規” 

  私がボブ・ディランについて最も不思議だと思うことは、ボブ・ディランを聴く者は皆、孤独だということだ。それは、どのディラン・ファンの話を聞いても必ず同じことを言っていて、最初は友達に勧めても理解されないため、部屋で一人、根気強く聴くことになる。それでもやっぱりわからないので、誰かと共有したいのだけれど、誰にも言えない。自分で何か答えを見つけるしかない。まさに苦行のようだ。

自分の周りにはディランを聴く人は見当たらない。それなのに、全体としては有名で、盛り上がっている。それが不思議なのだ。

私は今まで、平成生まれを代表して若年層にディランを広めたいという気持ちがあったが、受賞を機に思い直すことにした。

そんなことをしなくてもボブ・ディランは有名であり続けるし、みんな密かに聴いていて、それを私が知らないだけかもしれない。

ボブ・ディランはやっぱり面倒くさいし、勧めるのは憚れる。

或いは、自分だけがわかった気になっていれば、それもまた幸せかもしれない。 

 

 

 

社長がハローワークに通い始めた

 

今朝の朝礼での社長の言葉が感動的だったので共有しておこうと思う。

 

おはようございます。

昨日、米国でとんでもないことが起こりました。トランプさんが、大統領選でヒラリーさんを下したのです。誰も予想していなかったでしょうね。私はうすうす感づいていましたが。

世界情勢は大きく動くでしょう。日本もやばいかもしれません。漠然とした不安が、日本中に漂っています。でも、そんな空気に飲まれるのはやめましょう。そんなものに実態はないのです。

それよりも、自分の足元をみましょう。自分自身のことから、できることに励みましょう。例えば私にタメ口を使わない等、出来ることは近くにあるはずです。社会人として、やるべきことをやりましょう。それが結果的に自分の周りの状況を良くします。

「明日はわが身」という言葉があります。

我々の生活を保障するもの、それは今日なにを食べて、明日はなにを食べられるかです。衣食住を確保するのはなにか?それは仕事です。仕事の業績は生活に直結します。先月の業績ですが、最悪でした。最悪だと思ってた先々月よりも悪かったです。「日本やばい」の前に、「俺たちやべえ」なんです。

「一寸先は闇」という言葉があります。

これは私たちの業界にも当てはまります。私は危機感を感じています。「日本やばい」の前に、「俺たちやべえ」、ひいては「俺、やべえ」です。皆さんも危機感を持ってください。

業績悪化の原因についてですが、9、10月はスタッフの退職に伴う入れ替わりが多かったため、やむを得ないと考えてます。10月に新たに2名入ってくれましたが、現在さらなるスタッフの補充を行うために、採用活動を推し進めていますので、しばし皆さんには踏ん張って頂きたいと思います。とにかく皆さん、今月も頑張りましょう!

え〜、私の今日の予定は、午前中会議をした後、午後はハローワークに行ってきます。

以上!

 

私は知っている。社長がなぜハローワークに通うのかを。

一ヶ月ほど前、社長は我が事業所の大胆な構造改革を行った。

我が社長にしては珍しく、急な辞令であった。それは我がリハビリテーション部の中で最もキャリアが長く、信頼も厚い女性リーダーの他事業所への移動だった。当事業所粒ぞろいのBBA達の中で、ひと際おしとやかで、癒しをくれる、戦場に咲いた一輪の花だった。この人事に事業所内では反発が生じ、男性職員が次々と辞めていく事態になったのである。

社長はこの事態にも頑として強気の姿勢を貫いていた。口を開けば「急な辞令の発令は当たり前」と言い、社員の話に取り合おうとしない。社長は若い頃、大手に勤めていたらしく、突然の辞令発令は社長にとって常識の範疇だろう。しかしそれを当事業所のような小さな組織の中でやろうとすると、失敗するのだ。

今までの社長は、そのようなタイプではなかった。どちらかというと入念に面談を重ね、社員の意見にも耳を傾けてくれる人だった。一体どうしてしまったのか。思い当たる節は2つある。

一つ目は、親会社のお弁当事業の業績不振だ。親会社社長の抜群のリーダーシップにより推し進められたお弁当事業だが、同業他社のライバルが強すぎて太刀打ちできていない。「残った弁当は社員で消費!」という裏スローガンの元、若手がブクブク太っているらしい。

そんな事情があり、親会社からの圧力があるのだろう。この前防災対策のための転倒防止ストッパーを2つ頼んだら、「2つ⁉︎、3つ以上なら送料無料なんだが。おい君、送料込みの3つと送料ありの2つ、どっちが安いの?」と数百円の差を気にしていたので、経費は詰め詰めだろうと思う。その前に、”忘年会を自費にしたら、25人いた参加者が5人に減り、慌てて経費から調達することにした” という事件があったので、そこらへんの事情もあるのだろう。

 

二つ目に、社長の威厳が失墜している現状がある。

社長の名刺処理の不手際により、キャバクラ通いが管理者にバレて以降、完全に弱みを握られてしまっている。女性職場なので風当たりは強い。この頃から女性スタッフが社長にタメ口を使い始めた。皆「そこはNTT東日本でしょ⁉︎社長!!」のテンションで社長に話しかけている。

このような状況に、少々気が狂ってしまったのかもしれない。無理もない。

しかし、状況を打開するために打った手が、返って状況を悪化させてしまっている。

 

各部門からの人材の流出により、業績は危機的状況だ。しかしもっと危機的なのは、社内空気。今日も社長は、澄んだ社外空気を吸いにハローワークへ通う。

私は知っている。それは求人募集のためではない。

社長自身の、命のハローワークなのだ。

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国際福祉機器展(HCR2016)に行ってきた

目覚ましが鳴る。慌ててスマホに手を伸ばした。

朝8時。

10時にビックサイトだから、約束まであと30分は寝れる。

 

 

目覚ましが鳴る。慌ててスマホに手を伸ばした。

朝9時半。

約束の時間まで、あと30分しかない。

終わった、と思った。

福祉用具のF氏に電話をかける。

「すいません、約1時間遅れます。先入ってて下さい」

「しょうがねーな」

F氏は思いのほか、にこやかだった。彼は出張で来ているけど、私は有休を使っているので、まあどちらでも良いのだろう。

私も出張なら、寝坊などしなかっただろう。有休、という潜在意識が私の気を緩ませた。私は気を抜くとすぐ楽な方に進んでしまう。

もう何がどうしたって間に合わないので、駅までの道を急ぐでもなく歩いた。駅の入り口には階段とエスカレーターが並んでいたけど、皆エスカレーターに吸い込まれていく。私も前に倣ってエスカレーターに乗る。もはや駆け上がることもしない。改札に着くと近くのエレベーターから若者が数人出てきた。私よりも怠惰なやつがいるな、と思った。人は自然と楽な方を選ぶ傾向がある。 

 

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 国際展示場前に着くと、人の波はもうまばらになっていた。

 

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国際福祉機器展(通称HCR)は、私が学生の頃から行ってみたかった展示会で、毎年この時期に開催されている。

国内だけでなく、世界中のメーカーが最新の福祉機器を紹介する。ここに来れば福祉機器の最前線がわかるビックイベントだ。

 

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会場内はあまりに広く、無数の企業がブースを作っているので、何から見ればいいのか迷ってしまう。

 辺りをキョロキョロしていると、F氏に呼びとめられた。

「遅いぞこのやろ〜」

F氏はすでに、各ブースでもらったであろうパンフレットが入った大きな手提げ袋を両手に抱えていた。

せっかくなので毎年来ているというF氏にイチオシを紹介してもらうことにした。

まずはこれ。

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見た目は普通の歩行車と変わりないが、実はこれ、電動アシスト付きの歩行車だ。

センサーが道の勾配を自動で感知し、上り坂の時はギアで前に進みやすいように、逆に下り坂ではブレーキをかけてくれる。こうすることで、一定のスピードで進むことができる。

実際に押してみた感覚では、上り坂で歩行車の重みをまったく感じなかったし、下りも適度にブレーキがかかり、安心感があった。

歩行車の重量もバッテリーが小型化されていて軽いし、なによりコンパクトなのが良い。バッテリーも連続3時間程度もつそうなので、買い物へ行くぐらいなら十分だろう。

一つだけ、上り坂でアクセルがかかりすぎて転倒してしまわないかが懸念されたが、アシストの強度も弱・中・強とボタンひとつで調節できるみたいなので安心した。

 

続いては、車椅子のブース。

この車椅子、どこかが普通と違うのだけどお気づきだろうか。

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正解はフットレスト(足置き)が地面についている点だ。

これが何に役立つのかと言うと、フットレストに足を乗せたまま立ち上がっても転ぶ心配がなくなる。普通の車椅子では立ち上がる際、まずフットレストから足を降ろし、次にそれをはね上げてから、ようやく立ち上がらなければならない。もしもこの工程を忘れてフットレストに足を乗せたまま立ち上がれば、その重量で車椅子が前方に傾き、大変危険な状態になる。このような転倒事故は認知症の方を中心に一定の割合で起こる。しかし、この車椅子ならフットレストは地面についているので、フットレストの上げ忘れによる事故を回避できる。地面についていたら車椅子が前に進まないじゃないか、という心配は無用だ。このフットレストは座面と連動していて、座った重みでフットレストの位置も上がるようになっている。逆にフットレストに体重を乗せると、座面が少し上がる。単純な仕掛けなのだけど、画期的だなと思った。

使いどころを間違わなければ、これもかなり有用だろう。

 

次にF氏と向かったのは、2015年度グッドデザイン賞も受賞した、次世代型電動車椅子WHILLだ。

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これは一昨年くらいからテレビで紹介されていて気になっていたもので、確か多くの企業がこぞって投資をし、開発されたものだったと思う。

機能についてはこちらの動画を見た方が早いだろう。


WHILL Walk Outside

乗ってみて感動したのは、なによりもその操作性の良さだった。

四輪駆動なので右手の小さなスティックを少し動かすだけで、自由自在、なめらかに動く。動きにストレスがなく、単純に乗っていて気持ちがいい。

回転半径が69.3cmと、70cmを切っているのも嬉しい。電動車椅子は大きいというイメージがあるけど、一般的な車椅子の最小回転半径が75cmなので、それよりも省スペースで回転できる。7.5cmまでの段差なら越えられるというのもすごいと思う。

でも、WHILLがここまで注目を受ける最たる理由は、デザインだと私は思う。

WHILLを一目見て、私は「乗ってみたい」と思った。

気になっていたからではなく、衝動的にそう思ったのだ。このように、「とにかく使ってみたい」とワクワクさせる福祉機器というのは、そう多くはなかった。今までの福祉機器は、何かを補う”手段”でしかなく、当然、機能性と安全性が最も重要だった。しかし、それ以外の部分はむしろ蔑ろにされてきた節があった。

 だが、状況は変わってきているのかもしれない。WHILL,Inc.は2012年に創業したベンチャー企業だが、今回HCRに来て感じたのは、誰もが知ってる大企業が多く参入していることだった。

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 中には福祉のイメージがまったくない企業も。

 

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 これを見て、すごく心強いな、と思った。

今までの福祉機器製品は、どこかダサいイメージがあった。それは先に言ったように機能を追求するあまり、それ以外のことにコストをかけられなかった事情があるかもしれない。しかし、パナソニックのような大手家電メーカーには、製品開発にあたって大企業ならではのノウハウがある。最近、家電もおしゃれなものが増えたけれど、そのノウハウを福祉機器に活かせるのは強い。パナソニックは以前からエイジフリーとして、介護サービスやリフォーム事業を進めているけど、この分野における今後の動向には期待してる。

名を挙げたついでにパナソニックの製品を紹介しておくが、何やらすごいものを製品化していた。

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何とベッドマットレスの半分が切り離され、そのまま車椅子になるという代物だ。

これによって寝たきりの人が移乗せずに移動することができる、というのだ。

移乗という動作は介護者にとって大きな負担となりやすい。今までも、この移乗を楽にするような製品は開発されてきた(例えばリフター)。だが、そもそも移乗をさせないようにする商品が出てくるとは思わなかった。

 

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寝たまま座位がとれるベッド

 

介護者の負担が楽になるのは、介護現場において非常に重要な要素だ。今後も介護者目線に立った便利な福祉機器の開発は進むだろう。

では、被介護者目線ではどうなのか。

移乗されず、ずっと同じマットレスの上でいることは、やっぱり楽なのだろうか。

少なくとも移乗動作(立ち上がる・方向を変える・座る)によって受ける、空間的、抗重力的な刺激量は減ると思う。

介護者の立場に立った製品は、必ずしも、被介護者の立場に立っているとは限らない。だがそれは、専門職の立場からの意見に過ぎない。最終的には、介護者・被介護者が何を選ぶか、にかかっている。

介護に辟易してしまうくらいなら、無理せず楽な方を選んだほうがいい。

「自分の脚で歩けなくてもいい、WHILLがあるから。」と言われれば、そうする他ない。それは意思の問題で、誰も個人の意志決定には抗えない。

頑張ってリハビリを続ければ歩けるようになる人でも、「歩けなくていい。」と言われれば、それまで。それはクールな福祉機器が代替するから問題ない。

そうは言っても、現状はやはり自分の脚で歩きたいという人は多い。家族も、自分の脚で歩けるようになってほしいと願う人が多い。

でも、これからもずっとそうかと言われると、違うかもしれない。

クールで快適な機械があるのに、それでも辛いリハビリを選択する人がどれだけ居続けるのかわからない。

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私はWHILLを必要としない。自分の脚で歩くことができる。でも、欲しいと思った。

それは手段としてではなく、もはや趣味のような感じだ。

街中で走っているWHILLを見る。「あれ、かっこいいな」「乗ってみたいな」と思う人がいる。徐々にユーザーが増える。多くの企業が類似品を作り、低価格化が進む。もう街中でWHILLを見かけるのは珍しいことではなくなった。あちこちでWHILLが走っている。中には、まだまだ歩けそうな人も乗っている。そのうち、誰もWHILLを好奇の目で見ることはなくなった。

こうして本当の意味でのバリアフリーは達成される。

WHILLのようなクールな福祉機器は、それを実現する可能性を秘めている。

  

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 世の中はどんどん良くなっていく。それは大手の福祉分野への参入によって加速している。この分野は伸びしろが大きく、これからも熾烈な競争にさらされるだろう。いずれにしても、選択肢が増えるのは良いことだ。

機能とデザインの革新によって、福祉機器を使用することに対する抵抗は徐々に減っていくだろう。私が介護を受ける年齢になった時、私は何を選択するのだろうか。

今まで散々患者に歩くようにと言っておきながら、自分は楽な選択をしているかもしれない。今朝の自分のように。

 なにしろ人は放っておくと、楽な方を選ぶのだから。

 

朝井リョウ著『何者』の感想

 
直木賞受賞作、朝井リョウさんの『何者』を読んだ。
テーマが就活、ツイッターということで、前々から気になっていた作品だ。
朝井さんは平成生まれで、私と同世代だということも、気になっていた理由のひとつだと思う。私が大学へ入学した頃はミクシィが衰退し、ちょうどツイッターやフェイスブックが流行りだしていたから、この世代にはイメージしやすい内容だと思う。逆にもっと前の世代の人にとっては、「何?この世界、気持ち悪っ」と感じるかもしれない。そこら辺をわざわざ説明しようとしないところに、作者の度胸を感じた。
 
私自身がどストライクの世代だからか、この物語には妙にリアリティを感じた。フィクションでありノンフィクション、というのが端的な感想である。大学生活を取り巻くバイト、サークル、恋愛、就活、ひとつひとつの描写が洗練され、現実の世界とリンクしている。だから自然と入り込んでしまって、気付いたら「この登場人物は◯◯っぽいな」とか、「自分は誰それタイプだな」というように、自分の周囲の人を登場人物に置き換えていて、当事者感覚で読まされる。
登場人物の仕草、性格といったものも細かく、周到に描写されている。冷静に傍観者であろうとする主人公の拓人、気遣いが出来て努力家な端月、いわゆる意識高い系の理香、お調子者だが何事もうまくこなしてしまう光太郎、クリエイター気質の隆良、冷静で達観しているサワ先輩、『何者』はこの6人が織りなすサスペンスドラマだ。サスペンスと言っても、誰かが死ぬわけではないし、取り立てて事件が起こるわけでもない。それなのに、それよりもずっと、恐ろしい。
 
何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 先に挙げたようにこの物語には、それぞれ異なるキャラを持った6人が登場する。

一応主役はいるのだが、誰かに比重が偏っているわけではなく、それぞれ物語の中で重要な立ち位置にいる。強いて言えば、主人公拓人のバイト先の先輩であるサワは就活という目標を共有していないため、少し異なる立場にいるくらいだ。読者は、この6人の中で自分は誰に当てはまるのか、自然と考えてしまう。同様に、他の5人についても、光太郎はアイツだ、とか、端月はあの子だ、というように当てはめていくことになる。作者は、読者にそう仕向けるのがうまい。
この5人は就活という目標のためだけに、偶然集まった人たちだ。
元々友達だった人もいれば、初対面の人もいる。付き合っているカップルもいれば、別れたカップルもいる。そのうちの一人に片想いしている人もいる。尊敬できる人もいる。生理的に合わない奴もいる。不安定で、ただでさえ複雑な集団が”就活”なんてものに立ち向かおうとするのだから、はじめっから上手くいくはずがない。
 
それだけじゃない。物語のkeyとなるツイッター。そんなものをフォローし合ってしまうものだから、見なくていいものを見てしまう。知らなくていいことを知ってしまう。こんな状況を自然に作り出してしまう作者は、巧みだ。
この本の中での、著者:朝井リョウ の立場ははっきりしている。総じて、自分を大きく見せようとしている人物には冷酷で、侮蔑の目が向けられ、そうでない人物には寛容だ。それは「想像力のない人は苦手」という言葉で主人公の口から度々発せられる。
ここに多くの読者は共感する。皆、自分を大きく見せようとするのはカッコ悪いことで、頑張っている過程を他人にアピールするのは滑稽なことだと知っているからだ。
明確に「正義」と「悪」を分けることで、私たちは安心して物語を読み進めることができる。意識高いアピールだとか理想ばかり語っている登場人物の言動に、こーゆうやついるわーと呆れる。
 
しかし、この物語の核心はこの先にある。
作者は私たちを主人公と同じ立場で安心させておいて、一気に奈落の底へ突き落とす。傍観者だと思っていたら、いつの間に当事者になっている。
きっと作者は日頃から、SNS上での過剰な自己アピールに違和感を覚えていたのだろうと思う。そのズレた行動をいつか徹底的に論破してやろうと、練っていたに違いない。
作者のすごいところは、そんなひねくれた自分自身をも客観視しているところで、結論は「自分が嫌いなタイプの奴らと自分は同類」として自らを戒めている。
この物語の主人公はかつての朝井リョウ、自分自身なんじゃないかと、勝手な妄想をしてしまう。何かを否定してやりたいという性格の悪さは、誰の心にも多少なりあるものだ。この奥底にしまっている感情を作者はあぶり出し、問い詰めるので、私たちは人間というものの怖さを改めて認識する。この本のテーマは、現実で私たちが直面する問題なのだ。この点において、『何者』はフィクションでありながら、ノンフィクションだと思う。

( ↑『何者』のその後を描いた続編らしい。こちらも気になる)
 
 最近、身近でツイッターやフェイスブックに投稿をする人はめっきり減ってしまった。
SNS離れが進んでいるようでけっこう寂しい。タイムラインに挙がるのは、シェアされたアメリカっぽい料理動画ばかりだ。
そんな私も、どちらかと言うと傍観者を決めこんでいる。
10年後のツイッターは、フェイスブックは、どうなっているのだろう、と思うことがある。人目を気にしてしまうのは日本人特有の...という分析はどうでもいいけれど、
評価を恐れて誰も投稿しなくなれば、そのサービスは衰退してしまう。
 
 でもきっと、無くなっていないだろう。
その理由は、根本的に人は誰かに評価されたい気持ちがあり、また、評価することによって、何者かになりたいという欲望から逃げられないから。
 
映画が現在上映中で賛否両論のようだけど、原作はなかなか面白かったよ。
 

拝啓、ボブディラン

www.jiji.com

 

拝啓、ボブ・ディラン

あなたがニューポートのステージに立ってから随分経ちますが

まだまだ世界は、暴力に溢れ、平和ではありません

僕があなたを知った時は、すでにライブでギターは弾かなくなっていましたね

10代後半でファンになってから、一番かぶれていた二十歳の頃

ボブディラン あの暗いおじさん

ボブディラン 嫌味なひねくれ者

ボブディラン ふつうに歌ってくれ

ボブディラン あのタンバリンマン

ボブディラン、今聞く気がしないとか言ってた、四、五年前

ボブディランを聞かないことで何か新しいものを探そうとした

そして今、懐メロのように

聞くあなたの声はとても優しい

マギーズファームに行きたくないという、あなたの声はとても優しい

 

 

拝啓、ボブ・ディラン

あなたのライブを初めて観に行った時

僕はあなたを見くびっていて、金返せ、なんて思ったりして

僕はまだ、あなたをフォークの神様だと思っていました

あなたは随分歳をとってしまったけれど

あの頃の自分より今の方がずっと若い、と

今でもそう思っているのでしょうか

 

拝啓、ボブ・ディラン

すっかり時代は変わってしまったけれど

いつかの僕もあの頃のように

学生街の喫茶店で、飽きるくらい

あなたの声を聞いていました

 

 

I shall be released

Forever young 

Jokerman

Don't think twice it's all right

Just like A woman

If not for you

 

My back pages

Desolation low

Not dark yet

Masters of war

Is your love in vain

Blowin'in the wind...

 

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ブログを再開します。

 

 

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試験おわった。(約3つの意味で)