ディラン好きの日記

転がる石のように

【感想】映画『オン・ザ・ロード』、ボブディランが愛した退廃

 

ボブディランが影響を受けたという小説『On The Road』

その映画版を観たのだけど、これは映画を観ただけでは消化しきれない、という気がしている。だがひとまず、映画を観た上での感想を残しておきたいと思う。

※ネタバレを含むので、これから映画を観ようと思ってる方は注意して読んでいただきたい。

 

ニューヨークシティ、やがて私の運命を決定することになる街、悪徳と墜落がはびこる現代のゴモラ。私はそこで、ひとつ目の入り口を叩くことになるが、初心者ではなかった。

『ボブ・ディラン自伝』より

 ボブディランはミネソタ州育ち。

1950年代後期から60年代初頭にかけてのアメリカ・ポピュラーミュージックは彼にとって退屈なものだった。それは戦後の祝賀ムードを引きずったような楽しいだけの空虚なもの、いわゆる商業主義的なものに、ラジオから流れる音楽は支配されていたという。ディランはそんな時代に、毒いっぱいの辛口フォークソングをやっていた。

1957年、ジャック・ケルアックが小説『On The Road』を出版、これを読んだディランはミネソタを離れることを決意する。後にこの作品は、彼に「最も影響を受けたもの」と称されるようになった。

何がそこまでディランを動かしたのだろう。

若きディランが憧れたもの、それはニューヨークの退廃ではなかったか。私にはそんな気がしてならない。ニューヨークに漂う「退廃」が彼を突き動かしたのだ。それは、私が小田実の『なんでも見てやろう』を読んでニューヨークを目指したのとは、違うようで似ている。小田実がNYへ降り立ったのは1958年。私は自分の旅に60年代NYの幻想を見た。ボブディランがニューヨークへ来たのは1961年。ディランもまた1947年のニューヨークの幻想を見たに違いない。

 

 

その日暮らしへの憧れ

オン・ザ・ロード [DVD]

オン・ザ・ロード [DVD]

 

 

舞台は1947年のニューヨーク。主人公は作家志望の男で根は真面目だが、父親の死をきっかけに気を病んでしまう。小説を書こうにも筆が進まず、虚無感に苛まれる中、友人からある男を紹介される。

その男はディーンと言い、少年院から出たばかりの破茶滅茶な男だった。主人公は次第にこの男の生きかたに惹かれ、ニューヨークのアンダーグラウンドな世界に身を落としてゆく。主人公はディーンや他の友人とともに黒人街でジャズに熱狂し、ハシーシを吸い、酒に溺れる。それは「作家」という未来のための勤勉な生活とは正反対の、熱狂的で、彼にとっては生きた心地のしたものだった。

間も無くして、ディーンは婚約者のいるデンバーへ帰ってゆき、他の友人も彼について行ってしまった。ディーンは不思議な魅力を持った男だった。彼について行けば、何か面白いことに巻き込まれるような予感をさせる男。主人公はニューヨークを離れることを躊躇していたが、結局ディーンからの誘いの手紙をきっかけに、ずっと憧れていた西部へ一人、旅立つことになる。こうしてオン・ザ・ロードの物語は始まるのだ。 

 主人公が育った環境は、そこそこ裕福で、親から大切に育てられたことが伺える。保守的で堅実な家庭だ。度々描写される、ディーンに良い感情を抱かない母親の表情が印象に残る。このような環境の中で、将来の期待に応えるための生きかたを、主人公は選択してきただろう。真面目な友人と付き合い、真面目に本を読み、真面目に文章を書いてきた。しかし、父親の死をきっかけに「死」というものが身近なものになったことで、自分の生きかたを再考せざるを得なくなった。

このような主人公の悩みを救ったのは、まじめな友人の精神分析的な屁理屈ではなく、”今を生きる”ディーンの姿だった。「死」を意識した人間にとっての未来は不確実性でしかない。その日暮らしへの憧れは、まじめに生きてきた人間こそ強いのだろう。私は主人公の心情をこのように理解する。

 

 

「 未来を生きる」か。「今を生きる」か。

 ヒッチハイクの旅の末、デンバーへ到着した主人公は、真っ先にディーンの元へ向かう。ホテルのドアをノックすると素っ裸のディーンが出てくる。彼と出会う時はいつもコトの最中だ。デンバーでのディーンは相変わらず破茶滅茶で、婚約者と寝た数時間後、愛人と寝て、また数時間したら夜の街へ消えてゆく。まともに睡眠をとらずに遊び歩く生活を続けていた。主人公にとってディーンは全く別の星の人間で、だからこそ惹かれてゆくのだけど、ディーンは生まれながらにそうだったのかというと、そうでもない。

ディーンがデンバーへ来たもう一つの理由は、父親を探すことだった。彼がまだ小さい頃、父親が家を出た。彼は、父親がデンバーで物乞いをしているという情報を聞きつけていたのだ。いつも明るいディーンだったが、父親や家族の話になると寂しそうな顔を見せた。幼少期に受けた”寂しさ”や”喪失感”が、彼をそのような人間にさせたのかもしれない。そういえば若き日のジョン・レノンも同じだったな、と私は思った。

対して主人公は両親の愛に包まれて育ったが、父親の死をきっかけにディーンと出会うことになる。正反対の二人は父親を失ったという点では共通している。違うのは、どういう別れ方をしたか、という点だろうか。

 

主人公とディーンがデンバーで再会してからすぐに、彼らはディーンの愛人と数人の友人らと共に大陸横断の旅に出ることになる。

酒とタバコ、ドラッグとセックスに明け暮れる旅を続ける中で、次第に仲間は目を覚ましていき、この快楽は幻想だと説得を始める。最初は誰もその言葉を真に受けないのだが、次第にひとり、また一人とそれぞれの生活に戻ってゆく。愛人もディーンが婚約者の元へ戻るつもりであることを知ると、離れて行ってしまった。

それから数年後、主人公は再びディーンに会いに行く。

ディーンは結婚して小さな子供を持ち、奥さんはお腹に第二子を授かっていた。

しかしディーンは、念願だったはずの幸せを手に入れたのに退屈していた。あるいはその幸せを享受する術を知らなかったのかもしれない。子守もせずに出歩くことが増え、ついに家を追い出されてしまう。彼は父親と同じ過ちを踏んでしまうのだ。こうしてディーンは自分を慕っていた人々を失ってしまう。主人公だけは最後までディーンと旅を続けるのだが、メキシコで主人公が赤痢に倒れたことをきっかけに、ディーンは親友の主人公をも見捨て、on the roadの旅は終わる。

 

数十年後、主人公とディーンは偶然ニューヨークで再会するのだが、この映画の見所はこのシーンだと思う。

私はこのシーンを観るまで、感想をわざわざまとめておこうとは思わなかった。むしろ映画の中に描かれる”退廃”に少しウンザリしていた。

しかし、最後のふたりの再会シーンを観て、なにやらこの映画にはメッセージがあることに気づき、先頭から改めて再生せざるを得なかったのである。

そのシーンについては、興味のある人は実際に観て頂きたいと思うので、敢えてここには書かない。

結論から言えば、私が思う『オン・ザ・ロード』の主題は、「未来を生きる」か。「今を生きる」か。その二者択一、どちらかにしか人は生きられないということである。

ディーンのように「今を生きる」人間は、その生活から逃れ、未来には生きられない。妻や子供のために自分の今を犠牲にすることができなかったように、未来のために今を犠牲にできないのだ。

反対に主人公は常に未来を見てきた人間だ。将来への不安から逃れられず、「今」は未来の自分のため、犠牲にしてきた。そのような人間が、「今」を生きようとしても、結局はあっち側の人間にはなれない。分不相応なのだ。

私は主人公の立場に立ち、それでも夢を見させてくれよと叫びたいのだが、思い返してみると、無茶しようにもしきれない自分というものは確かに存在している。呑み会ですら明日のことを考えてしまうのだから、もう最悪だ。このハンパさは一種のコンプレックスなのだけど、私がいくら取り繕ってみても、本当の意味で今を生きることはできないのかもしれない。その事だけは憶えておけよ。と、この映画に言われた気がした。

しかし、私の”その日暮らし”に対する興味は、だからこそ存在するのかもしれない。自分がそこに身を置いてないからこそ、違う世界を恐いもの見たさで覗いてみたいと思うのだろう。ミネソタで辛口フォークをやっていたボブディランにも、そうゆう感情はあったのではなかろうか。これは私の推測に過ぎない。

いずれにせよ、ディランがこの小説に影響を受けた理由は少しわかった気がするが、続きは小説を読んでからにしたいと思う。

今日はこのへんで。

  

管理者を陰口ババア呼ばわりしたことを反省したい

 

f:id:dylan-zuki:20160220105854j:plain

職場を取り巻く環境が劣悪になっている。

なにが劣悪かって、人間関係だ。

我が職場、訪問看護事業を統括する部門はワンフロアにまとまっており、極めて閉鎖的な空間である。

そこの中には事務の島があり、福祉用具の島があり、ケアマネージャーの島があり、リハビリ専門職の島があり、そして管理者を含む看護師の島がある。

今、隣の看護師の島で戦争が起きている。その島だけでやってくれるならともかく、張り詰めた空気はフロア内に蔓延、ついにはケアマネ島、事務島、福祉用具島でも紛争が起こる事態となっている。

今まで中立的立場をとってきた我がリハビリ島だが、ついに私達の島にも白羽の矢がたった。

 

私達は毎日、各々の業務を終えてから事務所に集まり、夕礼というものを行う取り決めとなっている。その場では訪問を行った利用者の状況、新規問い合わせの有無や入院の連絡、ヒヤリハットなどの共有事項を報告し合う。カンファレンスのようなものだ。

最初はリハビリ専門職間で行っていた夕礼だが、管理者たっての要望により、看護師とともに行うこととなった。理由は「リハビリが何をやっているのかわからない」「看護師ありきの訪問看護ステーションだから」という上から目線なものだが、そう決まったのは私がここに来る前のことなので、どのような事情があったかはわからない。当時のリハビリ職の状況が劣悪だったのかもしれないから、一概に悪い提案とは言えない。むしろ同じ利用者に対し、看護とリハビリが組み介入することもあるのだから、合同カンファレンスは連携を深めるために重要なことである。

 

一致団結。これからは今日までのことは忘れましょう、そして明日から共に協力し合い、連携を深めていきましょう。高まる機運。

私たちの事業所は変わりつつあった。

その矢先、コトは起こった。

 

数日後、管理者の訪問中にちょっとしたヒヤリハットが起こった。その事項は前日の夕礼で共有していたことであったが、管理者は「私、聞いてない」の一点張り。すごい剣幕でリハビリ島にまくし立ててきたのである。

 

私は以前、このような管理者の独善的、権威主義的人間性に嫌気がさし、”陰口ババア”という暴言を読者の皆様に残してしまった。

dylan-zuki.hatenablog.com

 しかし最近になって、管理者が我々に対しそのような対応をとるのは無理もないと思えてきた。それは彼女自身が耐えきれぬストレスの元にあるからだろう。

というのも、管理者が束ねる直属の部下である看護師同士の仲がすこぶる悪いのである。

大きな要因の一つは一人のクレイジーな看護師の存在がある。彼女は年齢から考えるとかなりのベテランなのだが、薬を塗る手順を間違えるなどのイージーミスが多く、利用者からクレームが相次いでいる。本人曰く、「私は患者さんとのコミュニケーションを大事にしてます」とのことだが、クレームをもらっては元も子もない。そんなことが繰り返されるものだから、同僚が彼女に接する態度もだんだん凄まじさを増している。

大体昼休みと夕方に一回ずつ、事業所に怒号が飛び交う。ベテランが10年以上年下の後輩に怒鳴られているのを見るのは哀しい気持ちになる。せっかくの昼休みも、側から見ているこちらとしては心休まらないのだ。

 

いざこざの原因はそれだけではない。月末になると利用者一人ひとりに対し、報告書及び計画書を作成するのだが、これは分担され、決まった持ち人数分を書くノルマがある。しかし、彼女はいつもその3分の1もこなせていない。聞くところによると、「文章が稚拙すぎる」「論点がズレている」ので、結局ダブルチェックに多大な時間をとられるようなのだ。本人は「今まで計画書を書いたことがないので、書き方がわかりません」と弁明するが、この発言も火に油を注ぐのみである。

結局、何度書き直しを依頼してもダメなので、最近は管理者が残業をして彼女の分の計画書も仕上げている。

 

現在、管理者とその他看護師が結託し、問題の看護師を退職へ追い込もうとしている。企業というものは特別な理由がない限り、従業員へ解雇を通告することができない。つまり「仕事ができない」程度では、解雇できないのだ。この点はとてもデリケートなので、なんとか「自発的に」「辞めて」もらうよう、今日も怒号が鳴り響く。今までその陰口により、幾人もの人間を退職に追い込んできた管理者も、今回ばかりはクレイジー看護師の鉄のハートに手を焼いている。どんなに年下に怒鳴られても、陰口を言われてもケロッとしている彼女は、きっとどんな環境でも生きていける。いや、生きていくだろう。

他人としてこの看護師と関わる分には、悪い人のようには思えない。だがもし自分と同じ

部門にいたなら、私達も同じ状況になっていたかもしれない。そう考えると、管理者のストレスにも同情できる。そして、それぞれの部門が問題を抱える中、リハビリ部門だけが順調とあれば、粗も探したくなるのかもしれない。

 

以上を踏まえ、私は管理者を陰口ババアと呼んだことを反省し、彼女に同情することにした。今にして思えば、ヒヤリハットを起こした時の「記憶にございません」発言も政治家っぽくてかっこいい。

昨日はついに、「看護師が遅く戻る時は夕礼を先に始めてて下さい」「どうして看護師を待つのですか?」というお叱りを頂いた。私の記憶する限り、看護師との夕礼が始まったのは、「連携を深めるため」に管理者が強く要望したからであるが、きっと私の記憶違いだろう。或いはユーレイの仕業かもしれない。

 

管理者が直接的な指導を行わないのは、直接言っても無駄、という適切な人事評価が基にあった。身内をかばい、波が立たぬよう陰口で済ませ、輪を保とうとした彼女の振る舞いは、管理者としての鑑かもしれない。

その結果、身内で戦争が起ころうとも、しょうがないじゃない

にんげんだもの

八つ当たりしたっていいじゃない

にんげんだもの

 

私はいま、相田みつをの境地に立ち、必死で心を鎮めようとしている。

冷静になれば、今まで彼女がしてきた振る舞いは、BossとしてBest Actionだったのだと心を入れ替えることができた。私はこのような管理者としての振る舞いを、略してBBAと呼び、評価したい。

彼女はこの上ないスーパーBBA。

若者風に言うなら、クソBBA。

 

これからは敬意を込めて、“陰口ババア”に代わり、“クソBBA”と呼称することをここに宣言したいと思う。

「私を構成する9枚」を選んだら男ばかりでモサかった。

こんばんわ、ディラン好きです。

私は今まで、はてなで盛り上がっている話題に乗れた試しがないのですが(というかブームに乗るのが苦手)、けいろーさんが書いてたエントリを見て、これなら乗れそうだと思ったのでやってみることにします。と言っても完全に出遅れてますが...

yamayoshi.hatenablog.com

 

f:id:dylan-zuki:20160202224754p:plain

 

 

1.ハイウェイ /  くるり

くるりは大学時代にすごくハマっていました。この歌はメロディ自体は単調だしシンプルなんだけど、歌い出しが気に入ってます。

僕が旅に出る理由は 大体100個くらいあって

もうこの出だしでグッときますね。歌詞好きの私にはたまりません。

一人旅に出た時は、旅先で必ず聴いてました。なんでもできそうな気にさせてくれる曲です。



 

 

2.Progress  /  スガシカオ

好きなんですよね、NHKのプロフェッショナル〜仕事の流儀〜

で、この歌が番組にピッタリ合うんです。番組中、いつもいいタイミングでこの曲がかかって、泣かしにきます。大学受験の時は、これと「栄光の架け橋」を流しながら集中力を維持してた記憶があります。そうゆう意味では、勝負どころでいつも自分を高めてくれる曲です。

この歌も歌い出しの歌詞が好き

ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた

ここが一番良い。



 

 

3.God  /  John Lennon

やはりジョンレノンは外せませんでした。色んな歌に影響を受けましたが、Godを初めて聴いた時は衝撃でしたね。確かBSでやってたジョンレノンのドキュメンタリーだったと思いますけど、彼の生涯を見た後に流れたので、尚更心に響いたのかもしれません。

この曲は晩年のジョンの決意表明のような曲です。一番のフレーズはやはりここですかね。

ビートルズなんて信じない

 

 

 

 

4.茜色の夕日 /  フジファブリック

 フジファブリックも、NHKの特集を見て聴くようになりました。

亡き志村さんがこの曲に込めた思いを知ると、泣けてくる歌です。

この曲の好きな歌詞はこれですかね。

東京の空の星は 見えないと聞かされていたけど

見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 フジファブリックは他と一線を画す、独特の世界観が気に入っています。


フジファブリック/茜色の夕日【Live at 日比谷野音】

 

 

 

5.てっぺん  /  ゆず

 私の青春時代を支えたゆずは「私を構成する」要素としては欠かせません。

この歌はゆずの1st.ミニアルバム『ゆずの素』の中の一曲目なんですけど、このアルバム、路上で録音したものをそのまま収録してるんです。だから、MCとか観客の声とか雑音とかもそのまま入ってます。私としては、その路上感こそがやっぱりゆずだな、と思うし、若気の至り感のあるハツラツとしたゆずを聴くとやっぱり嬉しくなります。

正直ゆずから一曲だけを選ぶのは難しいですが、最初のアルバムの一曲目という、始まりの歌なので、これにしました。好きなところはここですね。

完全勝利甘い味しか 知らない人に

こんなこと言ってもわかんねえだろうけど

お前らが勝者と名乗るなら 「絶対勝者」と名乗るなら

進む道はただ一つ 本当の勝者になってやる

 

 

6.Tears In Heaven  /  Eric Clapton

 これは浪人生の時にyou tube漁ってて辿り着いた曲ですね。

この時はよく洋楽の名曲を息抜きに聴いてて、ビリージョエルとかライオネルリッチーとかフランクシナトラをよく聴いてましたが、エリッククラプトンとの出会いは衝撃的でした。

メロディがまず素敵ですけど、歌詞に込められた背景がすごいです。

クラプトンは自分の息子を5歳の時、自宅高層マンションからの転落事故により亡くすという悲劇を味わっています。あまりのショックにクラプトンは薬物にはまってしまい、活動も休止状態になるんですが、この歌を作ることで活動を再開します。歌詞を聴くとわかりますが「もしも天国で会ったら、僕の名前を覚えていてくれるかい?」と語りかける相手は亡き息子で、これは息子に宛てた曲なのです。

私にとってこの曲は、歌という概念を超えたものとして、心に残っています。

お父さんは強くなくては

そして生き続けなければならない

なぜなら私は、天国にはいけないから 

 


Eric Clapton - Tears in Heaven

 

 

7.落陽  /  吉田拓郎

 ディラン好きなのだから、たくろうは避けて通れません。

この”和製ボブディラン”から受けた影響も大きく、私がかっこいいと思うものは、つまりは吉田拓郎的なものと言えるかもしれません。

 いまこそ吉田拓郎だと思う - ディラン好きの日記

 ここにも書きましたが、この曲の時代性と物語性、片隅で生きる人々にフォーカスする視点は、吉田拓郎の真骨頂だと思ってます。

サイコロころがし あり金なくし

フーテン暮らしのあの爺さん

どこかで会おう 生きていてくれ

ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった

男の話を聞かせてよ サイコロころがして

 



 

 

8.拝啓、ジョンレノン /  真心ブラザーズ

 真心ブラザーズは、ディランの「マイバックページ」の日本語版カヴァーを聴いたのがきっかけで知りました。90〜00年代に流行ったバンドだと思いますが、今聴いても古臭い感じはなく、かっこいいです。ボーカルのYo-kingはあのYUKIの旦那さんですけど、私はYo-kingの声が大好きです。生まれ変わったらYo-kingの声に生まれたい。

『拝啓、ジョンレノン』は、こんなに媚びてないリスペクトの表現があるのか!と常識を覆されました。綺麗な言葉よりも、こーゆうストレートな表現が、心に響きます。

ジョンレノン、今聴く気がしないとか言ってた3、4年前

ビートルズを聞かないことで何か新しいものを探そうとした

そして今、懐メロのように聴くあなたの声はとても優しい

スピーカーの中にいるような あなたの声はとてもやさしい

 



 

 

 

9.Blowin'In The wind  /  Bob Dylan

 ボブディランはどれにしようかと最後まで悩みましたが、オーソドックスに、ディランを聴くきっかけとなったBlowin'In The Windを選ぶことにしました。

私がディランを好きになったきっかけは、ここに書いてます。

私がディラン好きになった理由 - ディラン好きの日記

この曲をきっかけとして、あえて言わないカッコ良さに憧れたのは私だけではないでしょう。吉田拓郎の『人生を語らず』という曲も、きっとBlowin'In The Windの影響を強く受けたものではないでしょうか。

この曲をきっかけに、今こうしてディラン好きとしてブログを書いているので、間違いなく私を構成している曲です。

友は云う、答えは風に吹かれている

答えは風に、吹かれているんだ

 


Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

 

 

以上、「私を構成する9枚」をシングル曲として選んでみましたが、Beatlesもエレカシも斉藤和義も馬場俊英も星野源も忌野清志郎も奇妙礼太郎もサンボマスターもゴイステも出てない。。9枚に絞るのはとても難しかったです。

ただ、好きなものを選んで再考するのはとても楽しい作業でした。

次は好きな書籍とか映画とか、テレビ番組とかでやってみたいなと思った限りです。

 

ちなみに今私が大ハマりしてるのは、大原櫻子。

 

浦沢直樹展「ボブディランを聴いて歌って描きまくる」に行ってきた

 

世の中がベッキーで湧いている頃、

私の目にはとんでもないニュースが舞い込んで来ました。

 

f:id:dylan-zuki:20160131213807p:plain

 

『2016年 3月 ボブ・ディラン来日公演 決定』

 

f:id:dylan-zuki:20160131215427p:plain

 

私は数年前ディランのLIVEに行き、一度ディランを嫌いになった経験があるので、ディラン来日という言葉を聞くと、トラウマティックに反応してしまうのです(笑)

とはいえ、あの頃から私も成長しているのだし、ディランも変わっているだろうから、これは観ておきたい。いや、ディラン好きとして観ておかなければならない...!

使命感にかられ、ソニーミュージックのサイトを見ていたら、今日のイベントを見つけました。

www.sonymusic.co.jp

漫画家の浦沢直樹さんの個展『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』が世田谷文学館で好評開催中ですが、今日は「ボブ・ディラン 聴いて歌って描きまくる」というイベントが開催されるということで、

 

f:id:dylan-zuki:20160131234432j:plain

 やってきました。

 

 

f:id:dylan-zuki:20160131234733j:plain

 

 

 

f:id:dylan-zuki:20160201000634j:plain

 世田谷感がすごいです。

 

 

f:id:dylan-zuki:20160201000727j:plain

 チケット購入特典はBILLY BATのカステラ

 

f:id:dylan-zuki:20160201000833j:plain

私は漫画家・浦沢直樹さんのファンというわけではないし、「ボブディランを好きな人」ということくらいしか知りません。代表作の『20世紀少年』も読んでない。だから「ボブディランを聴いて歌って描きまくる」というイベントタイトルを見たときは、誰かディランを歌う人が別にいて、浦沢さんがそれを聴きながら絵を描きまくるのかと思ってました。だから登場してすぐにアコギをとり、「風に吹かれて」をディラン風に歌う浦沢さんを見て、私はあっけにとられてしまいました。

なんと浦沢さん、この度CDアルバムを出したそうで、ギターは上手いわハーモニカは振るわせるわ歌声は渋いわで完全にアーティストだったのです。

今回はこのアルバムのプロモーションも兼ねていたようで、いくつか自前の歌を披露してくれたのですが、これがまた良かった。全然そんな気なかったのに買ってしまいましたもんね、CD。最後にサインまでしてもらっちゃったんですけど、私が「斉藤和義っぽいと言われませんか?」という(恐らくアーティストの立場だったら、他の歌手に似てるというのは失礼な発言だと思うのですが)質問に、

「実は(斎藤和義と)仲良いんだよ。あいつが俺の真似をしたんや、ガハハ」と気さくに応じてくれて懐の大きい人だと思いました。

さらに私が同世代にディランを共感されないことを言うと、「友達に共感されないだろ?俺もそうだった」と言っていたので、やはりボブディラン好きは皆、周りに共感されず、悶々とした時期を一度は通るのですね。みうらじゅんも同じようなことを言っていた気がします。

 

 

浦沢少年とディランの出逢い

浦沢さんはトークの中でボブディランとの出会いを話してくれました。

浦沢さんもみうらじゅんと同じく、吉田拓郎を追いかけていくうちにディランに行き着いたのだそうです。それはやはり ”よしだたくろうブーム” の中を生きた人らしいし、その世代は皆、よしだたくろう→ディランという順序を辿ったのでしょう。

そして”ガロ”の『学生街の喫茶店』で出てくる ” 片隅で聴いていたボブ・ディラン〜♪ ” というフレーズが気になってしょうがなくなり、レコード屋へ走るのです。

私はたまたま父親が車で流してたPP&Mの「風に吹かれて」を聴いて、ディラン→吉田拓郎というコースを辿りましたが、『学生街の喫茶店』の歌詞でボブ・ディランをもっと知りたくなる気持ちは同じだなと思いました。なんかあの時代の大学生ってカッコよく見えてしまうんですよね。だからその大学生が聴いていたディランって何よ?っていう好奇心が生まれる。

 

浦沢さんがすごいのは、中学2年生で難解なディランの曲を、投げ出さずに一から聴き続けたことです。この時のことを浦沢さんは「何度も逃げ出しそうになった」と表現していました。この気持ちもすごくわかります。私の場合、早々に逃げ出して『Essential Bob Dylan』などのベスト盤に手を出してしまったので、ディランが歩んできた時代の変遷がわからない、という事が起こってしまい、今になって後悔しているところです。

ちょうどそんなことを思っていた時、

今まで発売されたアルバムを一つずつ挙げながら、ディランの活動を振り返るコーナーが始まりました。「この頃は彼女と別れそうだったからジャケットの表情も歪んでいる」とか「3作続けて同じ服を使いまわしてる」とか、解説されなきゃ気付かないことが多く、とても勉強になりました。浦沢さんが発見した「右方向から撮られた写真と左方向からのそれでは顔が違う」という研究はめちゃめちゃ面白かったです。

このコーナーのおかげで、時代の変遷と共に変わるディランの全貌を捉えることができたので、「ボブ・ディラン学」の講義としてめちゃめちゃ面白かったです。ディラン初心者にとっても、マニアにとっても最高の内容でした。

 

 

本当に「歌って描きまくった」浦沢先生

 イベントの趣旨である「ボブディランを聴いて歌って描きまくる」ですが、浦沢先生(ここからは漫画家要素が出てくるので”先生”とします)、なんと文字通りのことをやってのけました。しかもひとりで。

その方法は、

①まずギターでディランの曲のメロディを弾いて、それをループ再生させながら→②ギターをペンに持ち替えて→③モニターに映された紙の上に曲からイメージした描写を描き→④またギターを持って弾き語りをして終わる

 

あまりの素晴らしさに「あんた、誰やねん」とツッコミたくなるような神業でした。『くよくよするなよ』のアルペジオとか最高にカッコよかったです。

 

f:id:dylan-zuki:20160201000930j:plain

 浦沢先生作:ボブ・ディランの大冒険

 

 

f:id:dylan-zuki:20160201001117j:plain

 ディランを愛する人って、ディランの理解できない部分も含めて好きだから、例えディランが期待外れなことをやっても笑い話にできますよね。

きっとそれぐらいの気持ちで見てないと、ついていけないのだと思う(笑)

 

このイベントの模様は、一部LIVE配信してたみたいなのですが、放送前に観客の前だけで流してくれた、モノラル盤、ステレオ盤、リマスター盤の『Like A Rolling Stone』のレコード聴き比べはワクワクしました。当時の発売背景とか、レコードの回転数の話とか、浦沢さんとソニーミュージックの人の解説付きという豪華な聴き比べ。レコードの音を初めて聞いたけどクセになりそうです。

 

とにかく、すごいイベントに参加してしまったな、、というのが感想です。

伝説的な回だったと思います。

今回のようなイベントはレアだとご本人も仰せられてましたが、またやってほしいです。

今まで「浦沢直樹」はすごい漫画家のひとりに過ぎなかったけど、同じ「ディラン好き」として親近感を持つことができました。

今後は漫画家の浦沢先生のみならず、アーティストの浦沢さんに要注目です。

 ちなみに浦沢直樹展は3/31までやってるみたいなので、まだの方はぜひ。

 開催中企画展 - 世田谷文学館

 浦沢さんの歌声が聴けるCDもおすすめです

性善説から生まれた?日本的「空気」の正体とは

 

dylan-zuki.hatenablog.com

先日、とある職場にはびこるムラ社会の物語を書きましたが、もう少し学問的に日本的”空気”というものを知りたいと思い、積ん読してあった、山本七平氏の『空気の研究』を読みました。 

今回はその感想とまとめという形で、「空気が読めない」というときの”空気”、「あの場ではそんな空気じゃなかった」という時の”空気”、それらの正体を振り返ってみたいと思います。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 そういえば去年は戦後70年ということで半藤一利氏の『昭和史』を読んだのですが、著書の中でよく登場したのが、

軍部会議の中で非常に論理的に、マトモなことを述べた者の意見が驚くほど自然に無視され、なんの根拠もない ”感情論” が議題の決定権を掌握していく様でした。

それはまさしく場の”空気”の力であり、半藤氏も第二次大戦における失敗の本質としてこれを挙げているのですが、私はこれを読んだ時から、日本的 ”空気” の存在に関心を抱いていました。この『昭和史』や『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』、そして今回取り上げる『空気の研究』は昔からビジネスマンによく読まれているそうです。それは戦時中の軍組織の失敗が、会社組織においても共通点が多く、大いに参考になるからでしょう。規模の違いはあれ、基本的に「組織」というものには、”空気” が存在し、それが時に論理的な判断を超えて大きな力を持つことに、皆心の中では気付いています。そしてこの 日本的”空気” は戦後、敗戦を招いた元凶として、時には競争の足枷として、論じられていくことになります。欧米を見習い、人々は効率・論理重視の組織作りを目指してきたように思います。しかし、日本人の根幹にある性質は、やはり変えられなかったと言っていいでしょう。国会でも会社でも学校でも、未だ ”空気” というものが、場の決定権を左右しています。

 

『空気の研究』の中で著者は、「日本的儒教精神」を研究の出発点としています。

古く中国から伝わった儒教は、人を思い遣ること(仁と呼ばれる)を最高徳目とし、親子の関係の中で、「礼」を重んじるという精神があります。

面白いのは、儒教は仏教とは異なり、宗教という認識が薄く、当時の知識人は「儒学」という一つの学問として、『論語』を読んだそうです。そうして広まっていった儒教精神は、村という共同体の中で、親子間だけでなく隣人のような他人を敬う態度としても浸透していきます。そのうち「地主」対「農民」のように、統治する者とされる者という、上下関係が生まれ、明確に身分が分けられていきました。個人は組織に対して絶対的な忠誠を持たなければならないという倫理観が生まれたのは、おそらくこの頃です。江戸時代にあった「五人制」などの連帯責任制度は、地主というタテの関係と、隣人というヨコの関係をついていて、日本的儒教観を上手く利用したものと言えます。

つまり日本的儒教精神とは、

本来の儒学における親子間の「義」「礼」が、組織対個人という関係において拡大解釈されてきたもの、と山本七平氏は定義しています。


他方、儒教には孟子の提唱した「性善説」という考え方があります。
これは簡単に言えば、人間には生まれながらに善いことをしてしまう素養が備わっていることを示す思想です。この性善説は、元来人間には悪いことをする素養がないため、異常な行動には、そうさせる外部の力が働いている、つまり、そうさせる情況があるに違いないとする考えに繋がります。

この情況こそが、端的に”空気”を指すのだと著者は述べます。
しかし情況を判断するためには、「基準」を設ける必要があります。戦時下の日本においてそれは、現人神としての「天皇」であったし、現在では管理者、上司、親となるのです。

基準となった対象は絶対視され、その他は平等な立場となると、意思決定の根拠は、言葉そのものの指す善悪を超えて、基準となった対象の意思に従わざるを得ない。つまり絶対的な基準は我々から「超越したもの」であるから、その論理性は問題ではない。仮にその論理的矛盾を指摘する者がいるなら、その人は”空気の読めない者”として排除されることになる。
『空気の研究』より抜粋


孟子以後、性善説を否定する形で荀子という人が『性悪説』を説きました。キリスト教が根付いている西洋ではどちらかというと、アダムとイブの原罪を人は背負って生まれるのだという、『性悪説』寄りの考え方が根付いています。
そのため、キリスト教では絶対的教典として聖書が、イスラム教ではコーランが存在し、”性根の悪い”人間を律するための、規律を設けているのです。

 

私が面白いと思ったのは、論理的なものと対極にあると思える宗教によって、人間は論理的行動をとるようになる、というアンチテーゼです。

キリスト教では聖書の内容が人々の行動の基準となっていて、それは管理者と違って考えが変わったりしない、不変不動なものですから、”空気”といったものに判断を流されません。論理性を武器に自分で決断しなければならないのです。

対して日本ではアニミズムから始まり、神道のように、抽象的なものが信仰の対象になってきました。そして近代以降は、生きている人を”聖書”のようにしてしまったので、言われるがまま、従うしかない状況が生まれた、つまりこれが、論理的な判断を超えた大きな力を持つ、日本的 ”空気” の正体ということなのです。

儒教が学問として伝わったというのも面白い点でしょう。おそらく儒教が宗教として広まっていたなら、『論語』が人々の絶対的な基準となっていたかもしれないのですから。

 

そう考えると、一昔前に「空気の読めない人が増えてきた」という論調が盛んになった時期がありましたが、それは、それだけ欧米文化が日本に浸透してきたことの証明だったのかもしれません。その時は否定的な意味合いであった「空気が読めない」という言葉も、今では肯定的な意味合いをも持つようになっています。例えば帰国子女のような日本的" 空気 ”を知らない人が、日本社会でどんどん活躍していくのを私たちは見ていますし、インターネットで表現方法が多様化し、注目を集めるのは、良い意味でも悪い意味でも「空気を読まない」人達なので、「空気が読めない人」から、あえて「空気を読まない人」を目指す人が増え続けるでしょう。逆に、欧米で ”空気” が生まれるかもしれません。グローバル化とはつまりそういうことだと認識しています。

 

とはいえ、いくら”空気”の存在を否定しようと、日本人の根本的な性質は変えられなかったと冒頭に書いたのは、日本的 ”空気” の良い側面、つまり調和と集団倫理が日本人の美徳として揺るぎないからです。

日本的 ”空気” の良い側面は、間違いなく存在します。それは災害時などの非常事態だけでなく、高度成長期の企業の躍進を支えたのは、ある意味で日本的”空気”だったのかもしれません。予測できないことが前提の未来に対して、集団は一つのルールを創って、それに従い進むことで不安を解消する。これが、人間が集団を作る一つの理由だと著者は述べています。つまり日本的 ”空気" は良いか、悪いか、という議論ではなく、性善説の立場からそうせざるを得ないのだし、組織対個人に拡大解釈された「日本的儒教精神」によって、受け入れられた結果に過ぎないものだと、

最後にこの”空気”の正体をまとめておきます。

 

今の私の関心は、空気の存在しないと言われるアメリカなどの欧米企業では、どのように組織運営を行っているのだろう、ということです。個人主義と組織をどう一体化させているのか、これはもしかしたらインセンティブとかの話に繋がるのかもしれませんが、わかりません。次はその方向の本を読んでみようと思います。

 

陰口ババアが職場をまわす

f:id:dylan-zuki:20160117223217j:plain

 人間関係における悩みというものは、万国共通いつの時代も尽きることはない。

とりわけ職場における人間関係のトラブルは、厚生労働省の調査を見ても、離職事由の中で依然、高い割合を示している。一億総活躍社会とやらを掲げる政権にとっても、この問題は憂慮する事柄だろう。

そこで、離職率の高さで業界トップ5に入る「医療・福祉」分野に属する我々の職場での取り組みを紹介しておこうと思う。

今後の政策立案において、ぜひ参考にしていただきたい。

 

 

私はいま、会社の中で20名に満たない小さな部署にいる。

このような小規模な職場環境は、よく言えばアットホーム、悪く言えば「逃げ場のないムラ社会」「同調圧力の温床」である。

我らが管理者は有能なので、

失敗やミスに対しては、とことん叱責をしてくれるし、

時には他人の意見に揺るがない強いリーダーシップを見せ、自分の経験則から決定を下してくれる。部下たちは皆、その勢いに(足を)引っ張られながら業務に追われている。

問題があるとすれば、

ボロクソなまでの叱責は、直接ミスを犯した本人には伝わらないという点だろうか。

誰も管理者から直接的な注意を受けることはない。管理者を見ても、ニコニコしているだけだ。そのような調子だから、鈍い人間は、自分がいつミスをしたのか気づかないこともある。気づかないまま、気付いたら退職に追い込まれていた同僚の姿もいた。

 

それ以降我が社では、管理者から愚痴を聞いたら、やんわりと、本人へそのことを伝えてあげることが暗黙のルールとなっている。そのことに気を揉む人も多い。

そう、我が管理者は陰口のプロフェッショナル。

本人に直接注意・指導はしないというのが彼女の流儀だ。

ある時私は、そのプロ根性を直接尋ねてみたことがある。

どうして直接言わないのですか?という質問に、彼女は「私、八方美人だから」と言った。美人かどうかはさておき、不動明王のような確固たる信念に泣けてくる。もうどうにもならない。

一番困るのは、直接言ってもらえないため、反論ができないことだ。例えば、よくよく聞いてみると、当事者のミスではなかった事柄でも、濡れ衣を着せられてしまうことがある。知らぬ間に、話があらぬ方向に進んでいることがあるのだ。

仮に組織的な問題によって生じたミスであれば、再発防止策を検討して全体で共有していかなければならないが、愚痴による個人攻撃では、そのような話し合いも持たれないのである。

このような抜群のリーダーシップのおかげで、後に第三者からボロカスに言われていた事実を伝えられた者は皆、ショックとともにモチベーションの低下に陥っている。

これが職場のあちこちで繰り広げられるのだから、愚痴を聞かされている側も、いつ自分が同じように陰口を叩かれているのか、気が気ではない。いや、どうせ言われているのだ、という諦めのムードがすでに漂っている。

不運なのは、彼女の立場が管理者であるという点だ。

この職場のような小さな規模の会社は、日本特有の村社会を形成しやすい。

本来であれば、このような八方美人タイプは仲間内から嫌われる。そして孤立していくのがオチなのだが、それが管理者である場合、職場で一定の地位を得るために管理者の評価を得たいと思う母数が多くなる。

そうすると、管理者の陰口に”そーだそーだ!”を連呼する側近が現れる。その側近たちが一定の立場を得ると、その同調圧力は周囲を覆い、おのず職場全体の空気を形成していく。

今この職場には、バトルロワイヤルのような緊張感がある。昨日味方だと思っていた奴がいつ敵となるかわからない。ものごとの善悪の基準は、すべて管理者の機嫌、好み、経験則。明確な原則を掲げて、今日もあくせく”そーだそーだ!”のシュプレヒコールが鳴り止まない。

このムラ社会にウンザリして去っていく有能な人材を見る度に、私は業界の未来を憂いでしまう。このような管理者が鎮座している限り、国が給与などの待遇を改善しても早期離職を食い止めることはできないだろう。

 私たちが働いているのは、小さな村なのだ。

一人の八方美人によって、八方塞がりとなり、離職へと追い込まれた同僚は今、別の職場で管理者という立場に立っているそうだ。

その姿を見ていると、私自身も身の振り方を考えさせられる。

 

このままではいられない...!

ついには私も、

小さく拳を握り、

立ち上がる。

 

声にならない声で

”そーだそーだ!” 

シュプレヒコールを叫び始めている...!