ディラン好きの日記

転がる石のように

息抜き=はっちゃけ という幻想

 

 

突然ですが、新社会人のみなさんはどうやってオフの息抜きをしていますか?

普段仕事で気を使ってるし、オフの時はなるべく気を使わないで済む学校の同級生と飲みに行く!とか、趣味に没頭する!とか、人それぞれ息の抜き方がありますよね。

 

私個人のこととしては、息抜きが下手な人間で、遊ぶ時は遊ぶ、仕事は仕事!ってさっぱり気持ちの切り替えができればいいのですが、なかなかうまくいきません。

だからオフの切り替えがうまいひとは羨ましいな、、といつも思います。

今日は私と同じように、はっちゃけたくても、うまくはっちゃけられない人のための息抜きの仕方を提案してみます。

 

 

寝る、

あたりまえだと思わないで下さい。

息抜きをするためには2つの要素があります。それは、身体的休息と精神的充実です。

このうち身体的休息を得るために最も有効なのが、寝ることです。

難しいことは考えず、とにかく寝ましょう。早く寝て、やりたいことは次の日の朝に回しましょう。朝型の生活が、社会人にはとにかく有利だと思います。

 

 

職場の同期と食事をする

同期と言っても、なるべく同じ部署の同期が良いです。フロアで顔を合わせる機会のある同期と食事をしましょう。これは精神的不安を埋めます。

新しい環境におけるストレスの最も大きな要因は、人間関係です。まだ構築されていない人間関係に疲れてしまうのがほとんど。会社という見知らぬ場に、気の知れた仲間が一人でもいれば、気持ちがだいぶ楽です。

同期が気が合いそうになければ、近い上司でもいいでしょう、人を見極めた上で、自分に害のない人を誘いましょう。

 

 

戦争体験などの過酷なノンフィクション作品をみる

息抜きをしようとするな。 これが私が言いたい結論です。

若い人は息抜きというとどうしても、夜通し飲み歩いたり、みんなでBBQしたり、いわゆるハッチャケることに尽力しすぎです。それもそれで必要なのですが、息抜きというのは、それだけで得られるものではありません。

こんな経験はないでしょうか

 

入社して一ヶ月。大学の同級生達と久しぶりに集まった。皆社会人となり、抱える悩みはそれぞれ。あの時はよかったなーと、自然に昔話にも花が咲く。その夜は夜通し呑んだり遊んだり、こんなに笑ったのはひさしぶりだ。お互いがんばろうな、と友達に手を振り始発で帰路につく。昼過ぎに目覚め、しばらく昨日の余韻に浸っていると、

テレビから陽気な音楽が流れてきた。

オサカナ・クワエタ・ドラネコ〜♪

ここでハッとする。そう、休日は終わったのだ…!。

 

 

楽しい時間というのはそれだけ、現実とのギャップを浮き彫りにしてしまいます。

入社当初のストレスの正体は仕事内容にしろ、人間関係にしろ、不慣れな環境に対するものです。

これを解消する方法は唯一、 慣れ しかありません。

慣れるにはどうしても、失敗&成功を繰り返して得られる経験が必要で、ある程度時間がかかります。

問題はその間、どうモチベーションを保つかということですよね?

旧友とはっちゃければ、自分だけが苦しい訳じゃないんだ、という連帯感を得ることが出来ます。この連帯感も、モチベーションを保つ一助となることもありますが、人生の中で楽しかった頃の友人に会うと、その頃の記憶がよみがえり、いっそう現在の生活とのギャップが広がり、仕事に対するネガティブなイメージが深まるというデメリットもあります。

なので、息抜きをはっちゃけることに依存させるのはやめましょう。

 

心の安息は『自分は幸せなんだ』と認識することによって得られます。

苦しい状況でも幸せを感じるためには、幸せの閾値を下げるのが効果的です。

そのひとつの方法として、苦難を乗り越えた人物の自伝やドキュメンタリーを読むことをおすすめしたいです。

 

私が辛くてどうしようもないとき思い出すのは、フランクルの『夜と霧』です。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 これは言わずと知れた名著で、第二次世界対戦中、精神科医であったフランクルが、アウシュビッツ強制収容所での生活を綴ったものですが、その内容は壮絶です。

 

新入りは、往々にして便所掃除や糞尿の汲み取りを受け持つグループに配属された。糞尿は、でこぼこの地面を運んでいくとき、しょっちゅう顔にはね返るが、ぎょっとしたり払おうとしたりすれば、かならずカポーの一撃が飛んできた。労働者が「上品ぶる」のが気にさわったのだ。

 

(略)そこに十二歳の少年が運びこまれた。靴がなかったために、はだしで雪の中に何時間も点呼で立たされたうえに、一日中所外労働につかなければならなかった。その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然とながめていた。

このような極限の世界の描写が、延々と続きます。

この本が他の書物と一線を画すのは、著者自身の精神科医としての分析があることでしょう。極限状態での人間の内面に迫っています。

 

これを読むと、私が死ぬ程苦しいと思っていることなんて、たいしたことじゃないんだと思い知らされます。むしろ、今の時代に生きているだけで幸せに思えてきます。

食べるものがあって、暖かいところで寝れることが、もしかしたら当たり前じゃないような気がしてくるのです。

人生の途中、度々苦難に出会う中で、幸せの閾値をコントロールする技術を身につけたいなと、私は思います。その術は、過去の歴史が教えてくれるような気がします。

 

フランクルの体験に比べれば、社会人の辛さなんて、ちっぽけでしょう?

はっちゃけるばかりじゃなく、こーゆう息抜きの仕方もありなんじゃないでしょうか。

もちろん作品は本だけじゃなく、映画なんかも良いと思います。

 

以上、はっちゃけるのが苦手、という人のアフターの過ごし方に参考になればと思います。

 

 

最後にフランクルの言葉を借りて、

「人間は異常な状況では、異常な反応を示す。それが正常なのだ。」

→ミスを犯してテンパっても大丈夫。正常な反応。

「(過酷で目を覆いたくなるような状況でも) 人間は何事にも慣れてしまう存在なのだ」

→今が辛くても、いずれ慣れます。

 

 

 フランクルの心理学的考察