ディラン好きの日記

転がる石のように

私がディラン好きになった理由

先日、友達にディラン好きといいながらディランの記事が少なすぎることをディスられましたが、他は関係ありません。私はわたしのスタイルを貫きたいと思います。

 

それでは、今日は私がディラン好きになった時の話をします。

 

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引用)pds.exblog.jp

最初のきっかけは、たしか小学生の頃だったと思うのですが、車の中で父親が流していたCDで、そこにはビリー・ジョエルの『Piano  man』や、サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んでゆく』、エルトン・ジョンの『Your song』など父親世代の往年の名曲がおさめられていたのですが、その中でもひときわメロディが頭に残ったのは、ピーター・ポール&マリー(PPM)が唄う『風に吹かれて』でした。


Peter, Paul and Mary - Blowing in the Wind - YouTube

 

この綺麗なハーモニーと流れるようなメロディーが頭から離れず、歌詞はわからないけどメロディを口ずさんでた記憶があります。このときはまだディランの存在は知りません。

私がディランを知るのは随分後のことで、大学受験生になった時です。

このとき私は、それまで無縁だった英語を勉強しなければならないことを知り、焦っていました。というか副詞とか助動詞っていう日本語の意味すら理解できていないレベルでした(これはやばい)

という感じでやるきのスイッチを探せないでいる私でしたが、ある日先生が、教材の中でビートルズの曲を扱っていて、ビートルズにまつわる話を雑談でしてくれました。

私はむしろその雑談に釘付けになっていたのですが、洋楽を通してなら自分も英語を好きになれるかもしれない、と思ったのです。

 

そんな流れで改めて聴いた「風に吹かれて」を通して、ついに私はディランに出会うことになるのでした。

 

久しぶりに聴いた『風に吹かれて』

私はいつしか「風に吹かれて」にハマっていました。

同じクラスにアメリカかぶれの親友がいたのもあって、私はこのとき古めの洋楽をよく聴くようになります。

当時その親友とよくやっていたのは、USA for AfricaWe are The Worldの歌詞を暗記して、全員のモノマネをして唄っていくという遊びでした。

たいていは似てないのですが、ボブ・ディランレイ・チャールズのパートだけは完コピできている自負があって、二人でゲラゲラ笑っていました。

同世代からはまったく共感を受けない遊びです。

USA FOR AFRICA - We Are The World - YouTube

 

ある日、その友達が厳選したという、焼いたCDをくれました。その中にボブ・ディランの『風に吹かれて』が入っていて、そこで気になって調べていくうちに、『風に吹かれて』を作ったのはディランで、PPMはディランから曲を提供されていたと知ります。これが私がちゃんとディランに触れた最初の瞬間です。

 

前置きが長くなりましたが、私がディランに惹かれたのはやはりその詞です。

 英語の先生には、よく行間を読め!と言われましたが、ディランの歌詞はこの行間を読むトレーニングを積むのにぴったりでした。

 

『風に吹かれて』の歌詞の1番は以下のように始まります。

 

How many roads must a man walk down

Before you call him a man?

Yes,'n'how many seas must a white dove sail

Before she sleeps in the sand?

Yes,'n'how many times must the cannon balls fly

Before they're forever banned?

The answer,my friend,is blowin'in the wind,

The answer is blowin'in the wind.

 

 

この唄をなにも知らずに訳そうとすると、はて?なにを言ってるの?って感じだと思います。いや、私はそうでした。

しかしこの唄が作られた時代背景を考えると、訳し方が変わってきます。

この唄が作られた1960年代初頭、アメリカでは公民権運動とベトナム戦争の泥沼化とで政府と民衆の関係は混沌としていました。

このような状況の中で作られた『風に吹かれて』は改革を求める民衆のプロテストソングとして認知されるようになります。

これを機にディランはプロテスタントの象徴として民衆に崇めれていきます。そのような背景を含めると1番の歌詞は

 

ひとが人として扱われるようになるまで

どれだけの道を歩まねばならないのだろう

自由というものが与えられるようになるまで

どれほどの海を越えなければならないのだろう

永遠に禁止されるようになるまで

どれほどの数のミサイルが放たれるのだろう

友は云う「答えは風に吹かれている」

答えは風に吹かれているんだ

 これは当時私がおこなった意訳ですので、それは違うんじゃない?って意見があるかもしれませんがご了承ください。

 

ディランのうまいところは、現実的な事柄の間に抽象的な表現を挟んでいることで、 

ここでいうと、

how many seas must a white dove sail

Before she sleeps in the sand?の部分。これがあることで、解釈の幅が広がります。

これがもし、現状の問題の羅列になっていたら、たぶんここまで語り継がれる唄にはなっていなかったのではないでしょうか。

 

抽象的なものに対して人は、あれこれと解釈を加えたがるのです。

当時の私は、white doveを自由の象徴として、「自由というものが与えられるようになるまで」と訳しましたが、ここは抽象的なまま訳した方が味が出る気もします。

 

そしてなんと言っても象徴的なリフレイン、“The answer is blowin'in the wind"ですよ。“答えは風に吹かれている”なんて、かっこよすぎませんか。

最後まで抽象的で、聴き手に判断を委ねてくるというのが、この曲が名曲たる所以です。

極めつけはディラン、この曲がプロテストソングの代表として認識されていることに対して否定的なんです。そんなつもりでつくったわけではないと。。

これでどんどん深みにはまっていった人間の一人が私です。

 

これが、私がディラン好きになったきっかけですが、

どうして世代じゃないディランだったのかといえば、それはわかりません。

 

“答えは風に吹かれています”

 

 

 

 ディランに興味を持った方はこちらもどうぞ

dylan-zuki.hatenablog.com