『親を介護する』ということ
親を介護するとは、どーゆうことでしょうか。
私はそれは、
介護を通して自分の無力さを受け入れることだと考えています。
子供の頃、親は絶対的な存在であったと思います。
幾度かの反抗期はあったにせよ、結局子供というものは親に帰属せねば生きてゆけません。本人がどんなに気持ちを大きく持ったとしても、親は親、なのです。
その力関係が少し変わり始めるのは、就職して社会に出たくらいでしょうか。
人によってはこのタイミングで、完全に自立した生活を送る人もいるでしょう。
立派な社会人として、ようやく親と対等の立場に立てた、という思いを持つ人は多いと思います。ですが社会に出たばかりの新人は、実際はまだまだ知らない事ばかりです。
社会人として出会う問題、結婚など重要な局面の判断など、人生の重要な決断をするときには、まだまだ親に相談をする必要があります。
親からの承認を得た相手と結婚し、新たな家族生活をスタートさせてからようやく、
子は親と対等の立場で物事を言い合えるような気がします。
もちろん子供が生まれたら子育てのことなど、まだまだ親が人生のアドバイザーであることに違いはないのですが、この頃になると逆に子から親へアドバイスする機会も増えるように思います。
例えば新しい電化製品や新しい制度、新たな価値観といったものに親はなかなかついていけるものではないでしょう。
そーゆう意味では、もはや対等なのかもしれません。
で、このような対等な関係がしばらく続くのですが、
これが『親を介護する』ことになってしまった場合、
その時点で親子の力関係が逆転することになります。
自分が40代の頃か、50代の頃かわかりませんが、
ちょうど自分の子が一人で生きてゆけるようになったくらいに、親の介護の時期が来る可能性が高いのです。
介護と言っても、その幅は広く
買い物の付き添いや、服薬のチェックといったライトなものから、
食事の用意から摂食介助、更衣や入浴介助、排泄介助など(挙げたらキリがありませんが)ヘビーなものまで介助者に及ぼす影響は様々です。
要は、「子育てが終わって、また子育てがはじまる」
仕事量を考えれば、親を介護する子供にとってはそんな感覚でしょうか。
ここでまた『親を介護する』ということについて考えたいのですが、
自分の“親”だった人を、今度は自分の“子”のように面倒をみなければならない
という状況って、非常に混乱すると思うんです。
このときに起こる、アイデンティティ・クライシスに注目しなければなりません。
かつては絶対的な存在であった親の、弱々しく、身の回りの事もおぼつかなくなってしまった姿は、子供にとって非常に“ショック”なことです。
そんなショックをようやく受け入れたら、
今度はなにがあっても自分が面倒を見なければいけない、という責任感が生まれます。
ここに今まで受けた恩を返そう、という気持ちが重なるかもしれませんが、
とにかくなるべく親に良い生活を送ってもらいたい、と言う気持ちが湧くのが普通だと思います。
しかし、介護が子育てと決定的に違う点は
子育てが成長という“喜び”に向かうのに対して、介護の先にあるのは死という“喪失”です。
したがって、介護者がどんなに手を尽くしても、少しずつ衰えていくことは避けられない、死に向かうことは避けられないんです。
でも介護者である子は、「自分が親を不自由にさせない!」という気持ちを持ったままです。
そこで、(それが仕方ないにも関わらず)想い通りにいかない苛立ちが生まれ、家族内でぎくしゃくすることが増えてきます。
「こんなに頑張っているのに、どうしてうまくいかないのか」というように。
そしてその追いつめられた苛立ちの矛先は、容易に介護の対象である“親”に向かうことがあるのではないでしょうか?
私達“子供”は、介護の中で虐待が起こる可能性は、誰にでもあることを認識しておく必要があるでしょう。
そして多くの場合それは、いくら尽くしても限界がある、介護という行為の特性に気付けず、最後まで自分の責任で闘ってしまうこと
つまり、自分自身の無力さを受け入れられないことに起因しているように思います。
無力さを受け入れる。
もしかしたら、そこから介護というものは本当のスタートを切るのかもしれません。
こんなエラそうなことを言ってますが、私はまだ『親の介護』を経験したことがありません。
親は50代で、最近は口を開けば「つかれた」とは言いますが、まだまだ介護が必要な状態ではないです。
しかし、その日は近い将来ほぼ確実にやってきます。
そして医療従事者である私は、
たぶん身内の誰よりも、『親の介護』に対して責任を持とうとするでしょう。
息子であることに加えて医療従事者である、という奢りがいずれ私自身を追いこむことになるはずなのです。
だから、25年後の自分に言っておきたいと思います。
自分の無力さに、ちゃんと気づいてね。
自分一人で背負わないように、
そのために介護保険サービスがあるのだから(きっとね)
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