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ディラン好きの日記

転がる石のように

僕の見た『昭和史』はテレビの中

 

 

戦後70年、半藤一利『昭和史』を読んだ。 

昭和史1926-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史1926-1945 (平凡社ライブラリー)

 

 

平成生まれの私は戦争を知らない。

知っているのは、終戦を告げる昭和天皇玉音放送と、特攻隊が飛び立つ様子と、原爆投下と神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会の映像くらいだろうか。太平洋戦争と聞いて想起する場面は大体そのようなもので、私が見た戦争はいつもテレビの中だった。

 

そのような映像だけでも、戦争は愚かだと認識するのは十分だった。

だけど自分ももう大人なのだし、そろそろイメージだけで戦争批判するのはやめにしなくてはならない。

なぜダメなのか、口で説明できるようにしたいし「なにがそうさせたのか」を、これを機に考えておかないことには、この先世論に乗ることも、批判することもできない。

 情報もなく、知らぬ間に、流れに身を任せなければならない状況は辛いし避けたい。

事実その時代の国民は圧倒的に情報を欠き、唯一得られるのは、新聞やラジオからの操作された情報のみであったという。

日本を戦争に向かわせたひとつの要因は、好戦的なメディアに踊らされた国民の熱狂であったそうだ。

半藤一利さんは本の結びの章でこのようなことを語っている。

第一に国民的熱狂をつくってはいけない。

その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。

(中略)マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ちはじめ、不動のもののように人々を引っ張ってゆき、流していきました。

 

どうやら『昭和史』における失敗は、

①軍部内、②メディア、③国民の3つの立場から分析できそうだ。

私がこの『昭和史』全体を通して印象的だったのは

半藤さんの言う国民的熱狂、いわゆる“感情”が理性的なものを踏襲していく様だった。

 

まず軍部内において

最も理性的であった者、(意外だったのだけれど)それは昭和天皇だった。

 おかしな軍部(とりわけ陸軍の上層部)の中で、昭和天皇だけは、一貫してまともだった。三国同盟(ドイツ、イタリア、日本で同盟を組むこと)決定の報告を首相から受けた際、昭和天皇はこう言っている。

この条約は非常に重要な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油や鉄くずの輸出を停止してくるかもしれない。そうなったら日本はどうなるか。この後長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれるかもしれない。その覚悟がお前にあるかどうか

 

アメリカに対して、もう打つ手がないというのなら仕方あるまい。しかしながら、万一にもアメリカとことを構える場合には、海軍はどうだろうか。海軍大学校の頭上演習では、日米海戦は思わしい結果がでない、と聞いているが大丈夫なのか

 

そしてもう一人、一貫して理性的であったのは、連合艦隊司令長官山本五十六という人。同じく三国同盟締結を決める会議でこのように発言してる。

この条約が成立すれば、アメリカと衝突する危険はかなり増大します。現状では航空兵力が不足し…(中略)しかし条約を結べば英米勢力圏の資材を必然的に失うことになります。増産にストップがかかります。ならばその不足を補うためどういう計画変更をやられたか、この点を聞かせていただきたい。連合艦隊長官としてそれでなくては安心して任務を遂行できないのです。

 このまっとうな意見は会議で無視され、三国同盟は内閣と官僚各々の保身のために、あっさりと決まってしまう。

 後にこの二人の懸念は現実のものとなり、アメリカは日本の国外資産を凍結し、資源の輸出を全面的にストップする。そんなことは当たり前だけど、その時になっても尚、「ウソでしょ?そんなことある?」的な態度で、軍部はなんともいいかげんで、ほんとに精神論でどうにかなると思っていたらしい。

 

この他にも、軍部にもまともな考えを持った人はいたけれど、そーゆうまともな意見を発した人は皆、陸軍の強硬派によって立場を追われたり、命を狙われたりして、どんどん中央から遠ざかっていく。

この時代に勝っていたのは、論理や理性ではなく、感情や暴力だった。

昭和天皇もかくして政治的決定権を持たず、さらには様々な軍の動きに対する報告を受けなくなった。つまり、国民が言論統制によりメディアからの正しい情報を受け取れなかったのと同じように、天皇も軍部から正しい情報を受けなかった。

権力の所在を実に曖昧にしてしまう政治体制が、この国を戦争に向かわせたと言っても過言はないと思う。

 

 

メディアはどうだったか、といえば

ここでもラジオ放送局と新聞社が権力争いをしていたという。

その争いはどんどんエスカレートし、過激で好戦的な見出しが躍った。その方が儲かったのだろう。

戦争に対する反対意見も途中までは雑誌に掲載されていたが、アメリカとの戦争に突入してからは、一切言論の自由はなくなり、同時に国民が手に入れる情報は画一的になった。この時点でこの国は民主主義ではなく、完璧な軍国主義となった。

そしてサイパンなど太平洋の島々での敗北も、ミャンマーでのインパール作戦失敗も、

“敗北”と国民に伝えられることはなかった。

とくに一市民としては、疾風怒濤の時代にあっては、現実に適応して一所懸命生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった。 

この頃の国民の生活は、というと

ネオン全廃、お中元や歳暮などの贈答はぜいたくゆえ禁止、男の長髪禁止、みんな坊主頭になれ、ついでにパーマネントも禁止。

完全に統制されていて、軍隊みたいな生活になっていたそう。

もうここまできたら、国民にはどうしようもない。

一人一人が保身を考えるしかない。反論して警官隊にどやされたところで、なにもならない。なんとか生き延びるために静かにしているしかないというのが、国民の現実であり、誠に弱い立場だったというしかない。

この時代において国民は悪くない、というのが私の感想だ。

軍部においてもメディアにおいても、

権力が保身のために、理性ではなく、感情を優先した決断を積み重ねたというのが、この『昭和史』を生む結果となった。

 

 

冒頭で引用した

『国民的熱狂をつくってはいけない』という半藤さんの言葉は、

世論が政治を決める今の時代こそ、憶えておかなければならない忠告だろうと思う。

そして国民的熱狂は今のところ、スポーツや、アイドルなどのサブカルチャーに向いているのであれば、それは迎合すべきことなのではないか、とさえ思えてくる。アイドルが戦争に結びつくことは、きっとないはずだから。

 

当時とは逆の意味で、情報に翻弄されてしまう時代だからこそ、

ひとつここに史実から学ぶチャンスがあるというのは幸運なことだ。

戦後70年の節目ということを口実に、読んだことのない人はぜひ『昭和史』を読んでみてはいかがだろうか。

 

私の生きる時代に、「イガグリ頭になれ、ついでにパーマネントも禁止」なんて御免だ

 

これからも、私の見た『昭和史』はテレビの中だけであってほしい。

そう切に願う。