【NYひとり旅 回顧録10】〜最終章〜
ニューヨーク出発の朝、私は最後にもう一度だけセントラルパークを訪れることにした。
湖畔のほとりのベンチに座って、小一時間程度ぼーっとした。晴れてからの夢である。
それからホームステイ先を出る前に友人Sがくれた手紙を読んだ。ヘタな絵になぜか泪がこみ上げる。
この旅ももう終わりに近づいている。
私のはじめてのひとり旅は、振り返ってみても良い思い出ばかりではない。とても甘酸っぱいものとなった。
NYへ到着したときのあの恐怖感、そして駅員に行き先を怒鳴り散らされた時の苛立ち、翌日の朝立ち。まるで昨日のことのようだ。
しかし過ぎ去ってみれば、すべてが良い思い出となって消化されていることに気付く。
私の英語力を嘲笑したバーガーキングの店員のバカ笑いにも愛着さえ湧いてくる。
厳しい環境だからこそ、やさしさを有り難く感じることができた。
道ゆく人に助けられることもたくさんあったし、ホステルで出逢って一緒にマンハッタンを巡った各国の人々も良い人ばかりだった。
私がiPhoneを無くしたと騒いだときも、行ったところまでわざわざ戻り、マンハッタンじゅうを探しまわってくれた。散々探しまわった挙げ句、私がiPhoneを自分の胸ポケットから見つけ出したときも、怒ることなく一緒に喜んでくれた。
私を泊めてくれた友人のホームステイ先の家族は、4日間も無料で泊めてタダ飯を食わせてくれただけでなく、病院見学のときも最後の出発日も車を出してくれた。
「英語が話せないヤツはNYに来るな」という態度を示す人間がいる反面、ここの一家のようにヘタな英語にも耳を傾け、私自身に興味を持ってくれる人がいたことは、国家や人種では括れない人の奥深さを教えてくれた。
マンハッタンを出る時の駅の案内所では、乗り場の場所を尋ねても、係員のオヤジは
「ジャマイカだ!ジャマイカに行け!!」としか言わなかった。
日本に帰りたいのになんでジャマイカに行かなくてはならないんだ…。
この時ばかりはさすがに怒りが抑えられなかった私は
「ジャマイカじゃねえ!!JFKへの行き方を教えろよ!!!」と食い下がった。
結局30分くらいお互い一歩も引かない口戦を繰り広げた末に
「じゃ、まぁいーか」
と諦めたのは私の方である。
あとでわかったことなのだが 、どうやらジャマイカ駅というのが空港の近くにあったらしい。オヤジは何も間違ったことは言ってなかったのだが、せめてジャマイカの後に「Station」をつけるくらいの丁寧さが欲しかった。
一方、窓口に弾かれた私を救ったのは英語を全くしゃべれないプエルトリコ人だった。
信じられないことに彼は「Yes」と「No」もわからなかったが、表情とジェスチャーだけで私達は意思を疎通し、私は無事に空港に到着することができた。
私はかろうじて知っていたスペイン語、「ハポネス」と「パエリア」だけで会話を楽しむことができた。
人と心を通わすのに言語は重要ではないのかもしれない。相手を理解したいという気持ちが大事なんだと、思い知らされる出来事であった。
小田実の『なんでもみてやろう』に憧れて始まった私の旅も、結局はなんとかなった。
幸運だったのは、重大な場面で助けてくれる人がいたこと、
そしてなによりも、私はお金に困らなかった。
これは本当に幸運なことで、私は節約旅行をしていたが、貧乏旅行はしていなかったのである。
実際、ホステルで出会った多くのバックパッカーはそれであった。まさかの時には皆、カードを切るのである。
この点は、『なんでもみてやろう』や沢木耕太郎の『深夜特急』の時代とのギャップを感じざるを得ない。
あの時のような旅をするには、わざわざそれを狙ってアフリカのような秘境を目指さなくてはならなくなってしまった。
クレジットカードやスマートフォンによって守られた旅は、それだけ生ぬるいのである。
ただその生ぬるさのおかげで、
私は他人の家に転がり込み、ずうずうしく飯までいただくことになった。
ひとりで旅に出たことで、自分には何が出来て、なにが出来ないのかを、少し知ることができたのだ。
根からシャイな所があるが、初対面の人に声をかけるのは意外と出来てしまう。
アメリカではたいてい、自分から話しかけていた。
反対に、途中から宿を決めずに行ったのは、どうにかなるだろうと心のどこかで思っていたからだが、実際には一人でBARに入る勇気すらもなかったのだ。
できないと気付いたことは、他人に助けを求めればいい。
求めれば、人は助けてくれる。たいていの場合はそうであった。
代わりに自分にできることは、人にも与えてあげる。これで生きていけるのかもしれない。
私がひとり旅を薦める理由は、自分探しでもなんでも無く、
本当の孤独を知ることができるからなのだと思う。
孤独を知り、初めて自由を得ることができると思うし、
自分が無力であることを思い知って初めて、人の力の有り難みを感じることができると思っている。
NYに到着した初日に思い知った孤独と、次の日に感じた自由は相反するものではなかった。誰も自分のことを気にかけていない世界というものも、要は捉え方なのだと思う。
帰国してすぐの頃は、もうニューヨークには行かないと思っていたのだが、
5年も経つと、思い出は甘美なものに昇華されていた。
次にマンハッタンを訪れることがあったなら、私はジョンFケネディ国際空港から迷わず出ることができるだろうし、ハイラインで熱中症にかかることもない。
SEXミュージアムに足を踏み入れることもないだろう。
しかしそれはそれで、淋しいものなのである。