ディラン好きの日記

転がる石のように

みうらじゅん とは何者なのか

 

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ディランを描いていたらいつの間にか完成したみうらじゅん

 

 

みうらじゅん、彼は何者なのか。

“ゆるキャラ”という言葉を創ったかと思えば、

ふたコト目にはエロいことを言い

真面目にマンガを描いたかと思えば、

ふたコト目にはエロいことを言う。

 

アーティストとしてCDを出したかと思えば

エロいことを言い、

エロい雑誌を集めては

エロいことを言う。

 

人生エロエロ

人生エロエロ

 

 

タモリ倶楽部に出てはタモリとニッチなことで盛り上がり、

安斎肇と酒を酌み交わす。

糸井重里は恩人で、リリー・フランキーとも仲が良い。

吉田拓郎を語り、ボブ・ディランを語り、ときにはブロンソンを語る。

美保純でも井上順でもなく

私はそんな、みうらじゅんを尊敬している。

 

みうらじゅん、安斎肇、いとうせいこう、リリーフランキー、田口トモロヲ…

これらのグループを私はエロデューサーと総称している。(エロい+プロデューサーっぽいから)

 

彼は何者なのか。

好き勝手に生きているように見えるが、少なくとも楽しそうだ。

なにがここまで私を羨望させるのだろう

彼の周りにクリエイティブな人達が集まるのは、

彼自身がこの世に“ない仕事”を創ってきた、クリエイティブな人間だからだろうか。

 

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

 だから、

みうらじゅんが仕事について書いた本を出すと聞いて、読まずにはいられなかった。

 

人は生きていく以上、誰もが成功したいと願う。

その成功パターンは従来2つあった。

一つは、

①高倍率の激しい競争のなかに身を置き、高い山の頂上を目指すもの。

もう一つは、

②誰も手を付けていないニッチな分野に目を付け、パイオニアとして道を創っていくもの。

そして最近ではここに、

③そもそも上昇志向を持たない、贅沢せずに最低限生活できる金を稼いでいければハッピー

みたいな生き方が加わっている。

 もし私がこの3つの中で生き方を選ぶとすれば、②以外にはない。

そのような私にとってのロールモデルは、みうらじゅんを筆頭にした、前述のエロデューサー達なのだ。

しかし私は今回、この本を読んで襟を正される気持ちになった。

テキトーに生きているであろう、みうらじゅんは死ぬ程マジメだったからだ。

彼はマジメにエロスクラップ帳を作り続け、誰も興味を持っていなかった地方のご当地キャラを追い続けた。海女さんや仏像に対する情熱も、どれもがブームが来る以前から、みうらじゅんが地道にコレクションし、広めていったものだった。

 

みうらじゅんが集めるものはどれも世間的には価値がないものだけど、それを切り取って、編集して新たな価値を付けてしまう。

“ない仕事”の作り方をひと言で言えば、ネガティブなものからポジティブな要素を引き出す作業を言うのかもしれない。

つまらないものを、つまらないままにしない

そこにみうらじゅんの真髄を見た。

 

 

 私がなにかをやるときの主語は「私が」ではありません。実は、私自身はどうでもいいんです。(中略)そもそも何かをプロデュースするという行為は、自分をなくしていくことです。自分のアイデアは対象物のためだけにあるべきだと思うべきなのです。すると、そうなるための一番良い方法を考えるようになる。「私はこうゆう仕事がしたい」という考え方のうちは、逆になかなかその仕事は形になりません。

 

 

好きなことを仕事にするのはどうやら大変そうだ。

みうらじゅんによれば、最初は好きであっても、徹底的にその対象物を集め、知り尽くすようにならないと、他人に語れるようにはならないのだという。一時的に語ることができても、すぐ底が見えて、仕事にはつながらないのだとか。ごもっともである。

“知り尽くした!”と言えるまでは、その話題はそっと寝かしておく。それまでのあいだ情熱を注ぎ続けるのは1番大変で、「これが大好きだ!」と自分を洗脳しなければならないのだそうだ。

好きで好きでたまらない!の先に、こんなに素晴らしいものを誰かに伝えたい、という情熱が生まれる。その時人間は没個性的になるというのだ。

 

果たして私にその情熱があるだろうか。

思えば、“若い世代にディランの良さを伝えたい”と思って始めたこのブログだが、

いつの間にか「俺が、俺が」になってしまっていた。

そして私自身が、ディランへの情熱を燃やし続けられていないことに気付く。

私は正直、ディランのことをよく知らない。人に語ることができないのだ。

 おすすめの曲が<初級編>で止まっているのは、中級編を書かないのではなくて“書けない”からだ。恥ずかしながら、私はまだディラン初級レベルなのである。

 

dylan-zuki.hatenablog.com

 

“マイブーム”という言葉は、みうらじゅんが造った造語だ。

みうらじゅんにすれば、最近ハマっている程度では、マイブームとは呼ばない。マイブームはずっと追い続けていかなければならない。そして他人を巻き込んでこそ意味がある。

そうなると、私の“ディラン好き”はマイブームには達していない。このままでは後世にボブディランを広めることなど到底不可能だ。

手始めにディランのアルバムをすべて聴く所から始めてみようと思う。

 

 

この本の中で1番唸ったのは、

“ブームは、若い女性がつくる” という箇所で、確かにその通りだと思った。

若い女性が好きなものには、若い男性が集まり、若い男女にはさらに広い層の男女が集まってくる。若い女性に火がつけば、芋づる式に社会のブームが生まれる。

私の当面の目標は、若い女性にディラン・ブームを巻き起こすことで、どうやってディランを若い女性にプレゼンすれば良いか模索中である。この課題の難易度はEだ。

 

 みうらじゅん という謎の人物に、学ぶことは多い。

彼の企画の売り込み方には、どこか昭和的な泥臭さがある。

その泥臭さは、普段受け身がちな私のような人間は見習うべきだと思った。

 

タモリ倶楽部に出てはタモリとニッチなことで盛り上がり、

安斎肇と酒を酌み交わす。

清水ミチコは愛人で、山田五郎とも仲が良い。

ラジオで童貞を語り、テレビで日活ロマンポルノを語り、ときにはグラビアを語る。

紫吹淳でも、高橋メアリージュンでもなく

私は、みうらじゅんが好きなのだ。