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ディラン好きの日記

転がる石のように

いまこそ吉田拓郎だと思う

 

スの極み、サカナクション、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ...

テクノサウンズ興盛のこの時代に、あえて言おう。今こそ吉田拓郎であると

日本の音楽シーンは戦前の演歌に始まり、西洋の影響を受けシャンソン、ジャズ、カントリーを取り込み、そして戦後におけるグループサウンズ、フォーク・ブームへと変遷していった。

大衆と音楽というのは奥深いもので、昔は社会階層に従って、支持される音楽がはっきりと分けられていたという。その昔アメリカでは、

ブルース=黒人労働者階級

ジャズ=黒人知識階級

ロック=白人労働者階級

フォーク=白人中流階級

スイング・ジャズ=白人知識階級 

  (参考:福屋利信http://www.t-fukuya.net/dylan.pdf#search='ボブディランと対抗文化'

というように、音楽はそれぞれの階層の思想性を反映し、一種のイデオロギーを示していたそうだ。したがって、”黒人の聴くジャズというものは規律のない不協和音だ”とか、”白人労働者のロックは商業主義に走った中身のないもの”というように、それぞれがお互いに属する音楽を非難し合う風潮があった。

フォークソングを歌っていたボブディランがエレキギターを抱えてロックをやりだした時、聴衆からの大ブーイングを受けて演奏中止に追い込まれた事実はあまりにも有名だが、その背景には、フォークとロックの間に越えてはならない壁が存在していたことを意味している。

アメリカでは公民権運動、そしてベトナム戦争の泥沼化の時代。プロテストの象徴であったボブディランが音楽に対しても解放運動に乗り出そうとする中、彼のアイデンティティを受け継ぐ男が日本に現れた。

 

フォークシンガー「吉田拓郎」の誕生

戦後の日本においても、アメリカと同様に社会階層によって消費される音楽は分断されていた。とりわけインテリ層には欧米文化をいち早く取り入れようと、洋楽が直輸入のまま広まった。対して戦後間もない頃の大衆音楽(ポピュラー・ミュージック)は依然演歌が支持されていた。

よく「インテリはリベラルで新しいもの好き、肉体労働者は保守的で変化を嫌う」というが、ポピュラー・ミュージックにグループサウンズやフォークが浸透するまでに10年余の時間を要した。これは、庶民が娯楽に興じる生活の余裕を生むのに要した時間と比例するように思う。

吉田拓郎もこの時ボブディランに影響を受け、活動を始めたうちの一人だ。

当時学生運動が盛んであった頃、ボブディランの反体制的な歌詞は、革マル派をはじめとした大学生に支持を集めた。その中でどこか堅苦しいイメージがあったボブディランの”詩的”な部分に、日本的な”情緒感”を組み合わせたことで吉田拓郎は日本にフォークを浸透させ、その草分け的存在となった。この日本特有のフォークは、ロックとの融合において吉田拓郎と長渕剛が、グループサウンズとの融合においてザ・フォーククルセダーズが先導し、”四畳半フォーク”として大衆化されていくこととなる。この時代はさだまさし擁するグレープや、南こうせつ擁するかぐや姫など、J-POPに於ける群雄割拠の時代の始まりだった。

この頃の青春映画を見ると、若者は皆、ロン毛にアコースティックギターを弾いている描写がよく映る。もし私がこの時代に生きていたとしたら、例外なくロン毛で4畳半フォークをしていただろう。或いは「学生街の喫茶店」でボブ・ディランを聴いていたに違いない。

 

音楽も所詮、ないものねだり

ずいぶん話が逸れてしまった。

私がなぜ、今こそ吉田拓郎だと思うのか。

その理由は、先進国となった日本において、消費文化は(いや思想までも)ブームの繰り返しでしかないと感じるからだ。

昔のような、音楽の階級闘争は起こらない。万人があらゆる音楽に容易にアクセスし、それを消費するようになった。若年層と熟年層との間で断絶感のあったジャズでさえも、近年若年層からスポットライトが当たっているように見える。若い女性に人気の星野源の活躍を見ても、その端を伺える。彼はSAKE ROCKとして活動していたインスト時代から汲んだジャズのリズムにポップスを融合したことで、ブームを起こしているとも言えるだろう。

フォーク→ロック→クラブミュージック→バンドブーム→テクノ→パンク・ロック→メタル→R&B→ラップ→ポップス→アイドル→アニメソング→テクノ・ポップ

大なり小なりのブームの変遷を経て、現在の音楽市場は”ノリ”重視のように感じる。

メロディーを埋め合わせるように何度も繰り返される同じ言葉を聴くと、メロディ>歌詞 の力関係を感じざるを得ない。そんな音楽を、私は忌み嫌っているわけではない。若者の一人としてそれなりに楽しんでいる方だと思う。だけれどそれは、一時代のブームとして消費しているに過ぎない。間もなく飽きてしまいそうな感覚が自分の中にはあって、同じ感覚の人は実は結構いるのではないだろうか。

エリート主義を目指した末に、反知性主義がブームになり、いずれまたエリート主義的思想に戻るように、

服で個性を出すことがおしゃれであったのに、いつの間にかノーム・コアがブームと言われ、それに飽きたらまた個性的であることがおしゃれと言われるように、

これからもブームは同じところをぐるぐる回るだろう。

それならば音楽業界における次なるブームは、メロディ<歌詞、つまりは叙述的なジャパニーズフォーク・ロックへの原点回帰とはならないだろうか。

音楽業界がサウンド・テクノロジーを出し尽くしたかどうかは定かではないが、私は少々その種の音楽に疲れてきている。そろそろ一周して吉田拓郎に行き着く頃だろう。いや、そうであって欲しい。そうでなければ、私のボブディラン普及活動は、情緒的な日本特有のフォークは過去の遺物として忘れ去られていってしまう気がする。

 

最後にこれぞ吉田拓郎の真骨頂と言える代表曲をいくつか紹介して終わろうと思う。

 

1、落陽


この曲を聴いて、私の中で吉田拓郎ブームが起こった。

吉田拓郎の歌に共通するのが、短編映画を観ているような情景が広がることだ。

この歌は特に、今ではあまり聞かないような ”すってんてんの” とか ”フーテン暮らし” とか、アンダーグラウンドだけど情がある、爺さんの生き様がカッコよく描かれている。私が特に好きなのが3番の歌詞だ。

サイコロころがし あり金なくし

フーテン暮らしのあの爺さん

どこかで会おう 生きていてくれ

ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった

男の話を聞かせてよ サイコロころがして

 一生を賭博にかける男の生き様、う〜ん、真似できないけどかっこいい。

 

2、旅の宿


全体に響き渡るハーモニカがたまらない。

ここまで”情緒”をまとった歌があるだろうか。

艶めかしさと情緒の融合、これぞジャパニーズ・フォークだと思う。

夏の夜に縁側で聴きたくなる歌だ。

 

3、結婚しようよ


よしだたくろう/結婚しようよ ~歌詞 (1972年)

父親世代のプロポーズの定番曲。この歌で吉田拓郎はメジャーデビューを果たしたらしい。当時の表記は「よしだたくろう」だった。

 

4、夏休み


吉田拓郎 - 夏休み feat. あだち充

 どっかで必ず聴いたことがある。切ない夏休みの歌。

 

5、制服


制服 吉田拓郎 神田共立講堂 1973.6.3

 高度成長期の集団就職の様子を描いている。故郷を離れることの寂しさと都会への憧れの狭間で揺れ動く就活生の心情がなんとも言えない。

 

今日までそして明日から


今日までそして明日から

20代の若者が書いたとは思えない詩。こんな歌を歌ってみたい。

 

 

 尚、この文章はほろ酔いで、雑誌「レコード・コレクターズ」に連載する佐野元春気分で書いたので、偉そうな感じになってしまったことを詫びたい。その時代をよく知らないのに、どこかで伝聞したことに任せて書いてしまったので信憑性がないことも断言しておきたい。

GOLDEN☆BEST 吉田拓郎~Words&Melodies~

GOLDEN☆BEST 吉田拓郎~Words&Melodies~

 

 

 あけましておめでとうございます。