クレイジー看護師が職場を去った。
“一番大切なことは、目に見えないんだよ。”
こう言っていたのはどこの誰だったか。
私はその真意をサン=テグジュベリからではなく、辞めていったクレイジー看護師から学んだ。
度重なるインシデントと報告書等の事務作業放棄。
看護部の人間関係を戦時状態にまで陥らせたクレイジー看護師だったが、法的事情により、会社側は解雇を言い渡すことができないでいた。
どうしようもない事情の中で事務所には日々怒号が飛び交い、張り詰めた空気が蔓延していた。 その様子を知りたい人はこちらを参照してほしい。
管理者を陰口ババア呼ばわりしたことを反省したい - ディラン好きの日記
そんなある日、冷戦状態の我が事務所に朗報が届いた。
なんと、クレイジー看護師が退職届を提出したのだ。
管理者(通称:クソBBA) の執拗な陰口にも、年下の看護師に怒鳴られても、全く動じていなかったクレイジー看護師が、突然退職希望を自ら出したのだ。
そのニュースに看護部は歓喜し、冷戦の終わりに私たちも安堵した。
それを受けて先日、クレイジー看護師の身辺整理と新たなスタッフを迎えるにあたって、看護部では席替えが行われた。
すると翌日の昼休みに異変が起こったのである。
いつもクレイジー看護師に叱責を浴びせていた10年以上年下の看護師。その隣の席に座った別の看護師の様子がおかしい。食事中に気分を悪くしてしまったのである。
あとあと理由を聞いてみると、どうやら原因は隣の看護師の足のスメルだった。
どうやらそのスメルには当の本人も自覚があるらしく、むしろ積極的に臭いを嗅がせに来るのだという。へその臭いを人に嗅がせる渡辺直美さんのような、明るいタイプの人間なのだ。
そしてクレイジー看護師が退職する5日前、事件は起きた。
その日は雨が降っていて、皆長靴を履いて訪問に出るのだが、なんと足スメル看護師がクレイジー看護師の長靴を間違って履いて行ってしまったのだ。
これに初めて感情をむき出し、激怒したクレイジー看護師。
今までどんなに陰口を言われても、罵られても、感情を表に出さなかった彼女がはじめてキレた。
思えば彼女は、入職してからずっと足スメル看護師の隣の席にいた。
最初は真面目に仕事をこなしていた彼女がある日突然クレイジーになったのは、隣のスメルの影響かもしれない。トンデモなスメルを毎日嗅がされた挙句、怒鳴られる日々はどんなに辛かったか想像に絶する。その足で人の家に上がりこむ方がよっぽどインシデントだろう、と彼女は思っていたに違いない。
今思えば、彼女が仕事を放棄したのはスメルに対するせめてもの報復だったのだ。
「ファブリーズしたからいいじゃないですか!!」
「そーゆう問題じゃない!!!」
最後にそう叫んだクレイジー看護師の言葉は間違いなく正論だった。
勤務最終日、彼女の目には涙が滲んでいた。嬉し涙だろう。
退職を喜んでいたのは私たちではなく、むしろ彼女の方だったのかもしれない。
形式的な花束を贈与され、まばらな拍手の中去っていくクレイジー看護師の背中を見送りながら、「あなたは正しかった」と私は心の中で呼びかけた。
彼女が去り、数日。職場には平穏な空気が流れている。
しかし、この平穏はいつまで続くかわからない。
スメルの隣に新たに座る看護師からは既に、「私、ダメかも」という声が漏れている。
花粉症の時期が過ぎ、鼻腔がクリアになった季節に、彼女がスメルにやられてクレイジーにならないことを祈る。
大切なことは、目には見えない。
物事の本当の元凶というのは、目に見えるものでなく、”鼻”で感じるものなのだ...