私がボブディランを嫌いになった日
これは私が『ディラン好きの日記』を始める少し前の話。
2010年3月、Zepp Tokyo
溢れんばかりの期待を胸に、会場へ向かった。
今日は、あのボブディランを生で拝める日なのだ。
イヤホンから流れるディランを聞きながら、私はこの日が来るのをずっと待ち望んでいた。
特徴的なダミ声。コード進行は単調なのに、難解な詞。なぜここまで引き込まれるのだろう...?このような疑問と共に、私は大学生になったのを機にディランに傾倒していくこととなった。
私の中でボブディランは”フォークの神様”だったし、伝説の人だった。
そんな過去の偉人が今も生きていて、その歌声を生で聴ける。私にとってそれはビートルズ来日と同じくらいの歓喜を意味した。
レイチャールズもシナトラもPPMもジョンレノンも、皆死んでしまった。でも、ディランは生きている。これはすごいことだった。
ライブには高校からの親友を誘った。彼は私にディランを知るきっかけをくれた人物である。彼と私は、少し鼻につくくらいの外国かぶれと古いものを好むという点で共通点があり、気が合った。
意気揚々と会場に着いた私たちは、グッズ売り場でディランの顔が描かれたTシャツと、特製チロルチョコを買って開場を待った。
ボブディラン来日記念で買った5年前のチロルチョコなんだけど、どう処理していいかわからない pic.twitter.com/gPUKdUghFe
— ディラン好き (@dylan_zuki) 2015年11月30日
このチロルチョコは今も家の冷蔵庫に眠っている。
会場内はオールスタンディングで、大きめのライブハウスといった感じだった。
幕はほぼ定刻通りに上がった。ついにディランとの対面である。
ディランは大きめの白いスペイン帽子を深くかぶり、漆黒のジャケットに身を包んで出てきた。
「ボヴィー!!!」会場に歓声がこだまする。眼前のボブディランは思ったより小さく、お腹が少しポテッとしていたが、眼光は鋭く、オーラがあった。
バックバンドの演奏とともに、ライブは途端に始まった。
何を歌うのか注意して聴いていたが、ディランはボソボソとつぶやくばかり。なにがなんだかわからないまま、一曲目が終わった。
「おお..!なんかわからないけど、すごいね...!」
「ああ..なにかわからないけど、すごいな...!」
お互い顔を見合わせ、私たちはボブディランが目の前で歌っているという事実をただ確かめ合った。
すかさず2曲目が始まる。
アレンジが効いているものの、『Don't Think Twice,It's All Right』であることがイントロでわかり、テンションが上がる。会場のボルテージも急上昇していた。
しかし、ディランは相変わらずつぶやくばかり。それは控えめに言っても歌っているとは言い難かった。いや、もともと弾き語り調で歌うことは知っていたが、この時のディランはもはや”語る”こともせず、ただ”つぶやいている”ようだった。
とはいえ、知っている歌が流れると嬉しい気持ちになる。
この調子で有名な曲をどんどんやってくれ〜!というのが私たちの願いだった。
しかしそれ以降、3曲目から9曲目まで私たちの知っている歌が流れることはなかった。
その間、立ったままボブディランのツイートを聞かされ続けた私たちは、正直なところウンザリしていた。
そんな折、10曲目に超有名曲『Mr.Tambourine Man』が始まった。
再び息を吹き返す私たち。だが、やっぱりCDと違いすぎる。
「話が違う」
私はそう思っていた。
周りを見渡すと、ちらほらボー然と立ちすくしている観客を見かけたから、そう思っていたのは私だけではなかっただろう。それ以降もディランは、『Like A Rolling Stone』や『All Along the Watchtower』などの有名曲をやってくれたが、有名曲であればあるほど、その期待値と実際の演奏のギャップが広がってしまい、私はガッカリしてしまうのだった。
いつしかボブディランに対する私たちの羨望は、絶望へと変わっていた。
この時私が持っていた感情は、端的に言えば「金返せ」だったし、親友は「もう来んな」だったらしい。
「ボブディランも年だから、しょうがない」
CDのように歌わない理由を、年のせいにすることで私達は一応納得し、帰路に着いた。少なくとも、もうディランのライブに足を運ぶことはないだろうと確信した。
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これが、私がディランを嫌いになった日であり、
それは言い換えれば、本当の意味でディランを知り、好きになるきっかけになった日でもある。
この日、私達がディランに絶望したのは、端的に言えば私達がディランをよく知らなかったからに他ならない。
今も現役で曲を生み出し続けているディランの最近の曲を聞こうともせず、ディランを”過去の偉人”と決めつけて、ノスタルジーにふけっていた私の怠慢だった。
実はディランはそのようなことを最も嫌う人だった。
ライブで曲をアレンジして歌うのは、昔のように声が出ないからではない。敢えてそうしているのであり、ディランからしてみれば、昔のことはすでに過ぎ去ったことで、うつろう時と共に、常に変化し続けていかなければならないと考えている。だから昔の曲も大幅なアレンジを加える。皆が期待するように、CD通りに歌うのは簡単だが、聴衆にどう思われるかの前に、アーティストとしての自分の生き方を貫いているのだった。
このことも知らない私達は、その無知さの故に、ボブディランに対して失礼な観測をしてしまった。
とはいえ、このようなディランの生き様についていくか否かは、別れるところだと思う。私たちのようなミーハーがディランのライブに行くと必ずぶち当たるのがこの壁であり、ここでディランを追いかける選択をした者には棘の道が待っている。それほどボブディランを好きになるには体力がいるのだ。
帰りすがら、私は改めてディランを聴いていた。
イヤホンから聴こえるディランは間違いなく、私が憧れたそれだった。
それは確かに存在し、これからも変わることがない。
今のディランのアレンジは理解しがたいけれど、もう少しディランを知ってみたくなった。この時私は、ディランを追いかけることを決めたのである。
この日から6年後、二度と行くまいと決めていたボブディランのライブにリベンジする日が来ることを、この時の私はまだ知らない。