もしかして、みんなもう忘れてない?ボブ・ディランのこと。
名前を変え、声を変え、宗教を変えて“謎の男”になった。
“和久井光司”
受賞直後、各局では特集が組まれて、ディランは “反戦・平和を歌った人” “時代の代弁者” として取り上げられた。どこかのコメンテーターが、「文学賞ではなくて、むしろ平和賞では?」と言っていたことにガックリ来たのもつかの間、ディランについては、受賞したのにコメントも出さない “無愛想な人” という印象だけが残った。
“無愛想な人” というのは、あながち間違ってはいない。
人に褒められると、逃げるように自分のスタイルを変えてきた。フォークシンガーとして名を馳せたら、すぐにロックへ転身し、批判を浴びた。彼のロックが評価を得るようになるとバイク事故で隠居した。復帰後は、フォーク時代に戻ったかと思えば、カントリー調になり、レゲエに走ったかと思えば、急にキリスト教へ改宗し、ゴスペルっぽくなった。次に何をしようとしているのか、誰も予想できない。ボブ・ディランについて学ぼうとするほど、疑問符が増える。やっと追いついたかと思えば、もう遠いところにいる。ディランはそうゆう男なのだ。
それは、 遠藤賢司 風に言うならば“ライク ア ロォリング ストーン!”であって、常に同じ場所に留まっていない。彼のこのような性格は’65のニューポート・フォーク・フェスティバルから吹っ切れたように、現在まで続いている。ボブ・ディランは良くも悪くも、聴衆の期待を裏切り続けてきた人なのだ。
「どこが?」って言われたら即答できないの、ボブ・ディランって。
“みうらじゅん”
だが、そこが魅力なのだ。
大衆に迎合しようとせず、やりたいことをやり、去って行ってしまう。そこに残された歌は、最初は受け入れられなくても、振り返ってみると傑作だと気づく。“わからなくてもいい”と言いながら、少しだけヒントを残してくれるから、全くわからないわけではない。先日発売された『MUSIC MAGAZINE 12月号』の中で湯浅学は「ちょっとずつわかるフレーズを入れていくから、全体がわかったような気になれるの。」と言っていたけどまさにその通りで、それぞれがわかったつもりでディランを聴き、語る。その答えはいつも“風に吹かれている”のだけれど。
この本では、ディラン・ファンの第一人者とも言える二人、みうらじゅんと湯浅学の対談があったのだけどそれがとても面白かった。
みうらじゅんがディランの息子にうどんを奢った話とか、ディランは落語っぽいとか、やはり真のディラン・フリークが話す事は違うなぁと思ったのだけど、そんな二人でも最後には「結局のところ、わからない(笑)」と言っている。
だから新参者には少々手厳しく感じるのだ。
私は今回ボブ・ディランのノーベル賞受賞を受けての対談や記事を見ていて、自分の知っているボブ・ディランは、ちょうど’67年に起きたオートバイ事故の前で止まっているのだと気付いた。それくらい私はディランを知らないのだけど、別に焦ってはいない。50歳くらいでわかりゃいいかな、くらいの軽い気持ちでいる。
これからボブ・ディランを聴く人は、どうか私のように遠回りをして頂きたいと思う。具体的には、PP&Mが歌う『風に吹かれて』を、ザ・バーズの『ミスター・タンブリンマン』を、エリック・クラプトンの『天国の扉』を、ノラ・ジョーンズの『フォーエバー・ヤング』を始めに聴いて欲しい。そこからオリジナルであるボブ・ディランに入るのが、一番敷居が低い気がする。ただ、『ライク・ア・ローリング・ストーン』だけは始めからボブ・ディランのを聴くべきだ。
「同じ曲」であることを保証するものはディランにおいては言葉だけ。
“堀内正規”
私がボブ・ディランについて最も不思議だと思うことは、ボブ・ディランを聴く者は皆、孤独だということだ。それは、どのディラン・ファンの話を聞いても必ず同じことを言っていて、最初は友達に勧めても理解されないため、部屋で一人、根気強く聴くことになる。それでもやっぱりわからないので、誰かと共有したいのだけれど、誰にも言えない。自分で何か答えを見つけるしかない。まさに苦行のようだ。
自分の周りにはディランを聴く人は見当たらない。それなのに、全体としては有名で、盛り上がっている。それが不思議なのだ。
私は今まで、平成生まれを代表して若年層にディランを広めたいという気持ちがあったが、受賞を機に思い直すことにした。
そんなことをしなくてもボブ・ディランは有名であり続けるし、みんな密かに聴いていて、それを私が知らないだけかもしれない。
ボブ・ディランはやっぱり面倒くさいし、勧めるのは憚れる。
或いは、自分だけがわかった気になっていれば、それもまた幸せかもしれない。