ディラン好きの日記

転がる石のように

「奥田民生になりたいボーイ」は奥田民生になれたのか?

 

最近、僕の中で「奥田民生」熱が再燃しています。 

(久しぶりに聴いた『さすらい』がきっかけで)



あ〜これだよこれ。

この歌い方と脱力感。

やっぱかっこいいなぁ。

ヒゲがいいんだよなぁ。

 

奥田民生の良さを再認識しながら、思い出しました。

そーいえば僕は、奥田民生になりたいボーイだったな、と。

だらっとしているけど、キメるとこは決める。「こだわりは持たない」「なんでもいいよ」というけど、本当はすごくこだわってる。敢えて表に出さないだけ。

奥田民生の ”カッコつけないけどカッコイイ” に、僕は憧れていました。

 

そんなわけで、前々からタイトルがやけに気になっていたものを読んだので、ちょっと感想を書いておこうと思います。個人的には久しぶりの漫画でした。(ネタバレあり)

奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール

奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール

 

ライフスタイル系は嘘っぽい?

主人公のコーロキはおしゃれ系ライフスタイル雑誌『マレ』の編集部へ異動してきた35歳(独身)です。元はガジェット系家電雑誌の編集者で、仕事は真面目に取り組み、中堅としてそこそこデキる。いわゆるフツーの男でした。

 移動してすぐに開かれた編集長の家でのホームパーティで、コーロキは『マレ』編集部の人々に度肝を抜かれます。そこでは流行を先取りしたおしゃれなワード、サブカル系の話題だけが飛び交い、コーロキは話に全くついて行けません。好きな歌手を聞かれたコーロキが「奥田民生が好きです」と答えても話は広がらず、話題はすぐにコーロキの知らないインディーズバンドの話題に移ってしまいます。

コーロキは家電雑誌編集部との、あまりの雰囲気の違いに、これから先やっていけるのか不安になります。それでも話題に出た歌手を復習したりして、必死に『マレ』編集部に馴染もうと努力します。

コーロキがホームパーティで感じたおしゃれピープルに対する違和感は、僕も感じることがあります。「○○的なバイブスで」とか言われてもよくわかんないし、オーガニックへのこだわりを語られてもついて行けません。

僕もコーロキと同じく、奥田民生派の人間です。

それにしても、上記のような人々と”馴染めない”と感じてしまうのは何故なのでしょうか。

作品中に出てくる書店にいたカップルの会話で、リアリストの彼氏が言っていたちょっとイヤミなセリフが本質をついていた気がするので引用してみます。

(雑誌『マレ』を見て)でも...こーゆうのはライフ「スタイル」だから!「ライフ」じゃねーから![中略]

「そーいうコトしてるワタシがオシャレ」ってコトでしょ?「スタイル」だから、そこに「本質」はねーから![中略]

オレはこーゆう「外ヅラ」っぽいのはイヤだね〜

もっと本質的で大事なことを読みてーよなー

つまり、ライフスタイル雑誌が示すのは、一つの理想的な「スタイル」であるので、現実的じゃないばかりか、それを目指そうとすること自体が目的となって周囲にアピールしているのは「外ヅラ」っぽくて本質的ではない、ということです。

例えばミニマリストに対する論争※1で、モノを切り詰めて生活しているのが幸せそうに見えなくなったのは、「無駄なものを省いてスッキリ暮らしていこう」という本質から、いつしかどれだけ物を減らせたかの競争をすることが目的となってしまった人が、目につくようになったからではないかと思います。それでミニマリスト同士寄り集まって、「ミニマリスト最高ー!」っていうのがどうも胡散臭く見えてしまった。

 

サブカルクソ野郎の定義はよくわかりませんが、その界隈にも同じようなことを感じます。僕はナナオクさんの桃太郎シリーズが好きですけど、中でも一番気に入っているのは「サブカルだらけの桃太郎」です。

7oku.hatenablog.com

これが笑えてしまうのは、サブカル方面の人々を一歩引いた目で見てしまっているからでしょう。バカにしているわけではないんだけど、なんだか微笑ましい。その裏にも、「こーゆうコトしてる俺(私)ってクールでしょう?」を感じてしまう、というのがあります。

同じように主人公のコーロキは『マレ』編集部の人達に対して、どこか浮ついた印象を持っていました。それは実際に、一緒に雑誌を作り上げていく中で思い直すようになるのですが、一見、本質を見失い、外ヅラっぽく見えてしまっていたのです。

(ちなみにライフスタイル系雑誌がバカにされてしまう理由については、チェコ好きさんがこの本の感想とともに考察してくれています。)

aniram-czech.hatenablog.com

これに対して奥田民生は、周りに流されず、人目も気にしない。言わば流行に敏感なオシャレピープルとは対極にあるような人であり、そのような所にコーロキをはじめとした「奥田民生になりたいボーイ」は憧れるのです。

 

コーロキが仕事に打ち込み始めた頃、雑誌の撮影で天海というプレスの女性と出会う事になります。これが「出会う男すべて狂わせるガール」です。

コーロキは天海に一目惚れをし、ひょんなことから付き合うことになるのですが、これをきっかけに仕事も恋愛も、うまくいかなくなっていきます。

天海と付き合うようになってから身も心もすり減らしていくコーロキは、現状と自分が目指した奥田民生とのギャップにさらに自己嫌悪に陥っていきました。

 

 

 

そもそも僕たちは奥田民生になれるのか

青年期から奥田民生に憧れ続けて、すべてのアルバムを聴き、グラサンに半ズボン、センター分けと、ファッションを真似たこともあったコーロキですが、今となっては自分の仕事を他人にコントロールされ、一目惚れした彼女に嫌われたくないという一心で機嫌を伺い、あらゆることが裏目に出てしまいました。ここまで奥田民生に憧れ、奥田民生を目指してきた主人公がまるで奥田民生からかけ離れた生き方をしてしまうというのは皮肉なことです。

コーロキは、奥田民生の背中を追いかけようと必死でした。努力もしてたと思います。

しかし奥田民生を目指して頑張っちゃうこと自体が、奥田民生なら絶対にしないこと、すなわち奥田民生っぽくないことです。

流行に敏感なおしゃれピープルが、必死で流行の先取りをアピールする姿が滑稽なように、必死で奥田民生になろうとする、というのも同じく滑稽で、どちらもそのものの本質を見失ってしまっているということなのでしょう。

私がこの漫画を通じて思ったのは、「奥田民生」も「ライフスタイル系雑誌」も「スタイル」であるという点は同じなのかな、ということです。

最初にスタイルを作った第一人者というのは、その存在自体が本質になるので良いですが、それを後から追う僕たちは、どうしてもそこへはたどり着けません。所詮真似ごとになってしまいます。そうしてみると、おしゃれスタイル系やミニマリストが、それを追う中で本質を見失ってしまう気持ちもわかる気がしてきます。これはコーロキが奥田民生を目指して全く奥田民生の本質ではない方向へ向かったのと、構造的には同じなのです。

したがって「スタイル」の行く末は、同じ道を目指す者同士コミュニティを作って対処していくことになるのでしょう。それが端から見れば、本質を見失って滑稽に見える、というだけの話です。

「 奥田民生」は「スタイル」

そこをはき違えると苦しむよ?っていうのを作者はコーロキを通じて伝えたかったのではないでしょうか。

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「奥田民生になりたいボーイ」は、奥田民生にはなれませんでした。

それを目指す過程というのは、”自然体のまま”という奥田民生の生き様とは矛盾が生じてしまうからです。

だから僕らは、

奥田民生ってかっこいいよね〜

ヒゲがいいんだよな〜

と憧れているぐらいが、最高にちょうど良いんだと思います。(ライフスタイル系雑誌を楽しむのと同じように)

 

この漫画、不思議なもので最後まで読むと、作者である渋谷直角の自伝かな?と思えてきます。最後のコマなんかはちょっと込み上げてくるものもありました。途中、サイコサスペンス的な要素もあり読んでて飽きのこない作品でした。

 

※1一時期はてなで高まったミニマリストへの批判。この頃多くのミニマリストを名乗るブログが炎上した。

私は社長を擁護したいと思う

 

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社長が苦境に立たされている。

うつむき、肩をすぼめ、少し内股で歩くその姿は、以前のような覇気を失ってしまっている。最近、職場ではまるで存在感がない。

 

 何が社長をそうさせたのか。

きっかけは、親会社の役員が当事業所へヒアリングに来た時の事である。

親会社では現在、新規開拓事業として独居高齢者向けの宅配弁当を開発中だそうで、そのため、実際にお宅に訪問している私たちに現場のニーズを聞きに来たというのだ。しかもこの日は、親会社の副社長直々にやってきたのだから、彼らの本気度は相当なものだっただろう。それと反比例するように、しぶしぶ業務後に集う我らが専門職。

実は事前に管理者に呼び出された私たちは、今日の事を知らされていた。

何やら本社でよくない動きがあるので、あまり賛同するような意見を述べないように、また社長の挙動に今後注意するように。とのことだった。

 

ヒアリングが始まった。

親会社副社長からの質問に対し、腕を組みガードを固める専門職一同。

お弁当事業については

「味の好みは人によって違う」「週替わりだとしても飽きてしまう」「そもそも自宅じゃなくてデイサービスで食べる方がベター」といったネガティブキャンペーンの応酬の末、最後に管理者から「もし弁当が開発されても、それを売りつけるようなことはしたくありません。」という言葉でとどめが刺された。

発言自体に関しては、一部的を得ている部分もあったので良いとしても、専門職の態度には問題があった。腕を組み、顎をしゃくり、副社長の話を聞く彼女らは、私から見てもあまりにふてぶてしく、失礼に思えた。

時に専門職というのは、その専門性の高さ故か、一般的な礼節というものをわきまえない者がいる。特に”経営”というものには無頓着な傾向があり、”現場で働く自分たちの業務量がこれ以上増えないこと”が最優先なのだ。

 

すかさず社長がフォローに入ろうとする。

社長は親会社からの出向で当事業所に来ており、この状況はかなりマズかった。

しかし専門職の団結は強く、ヒアリングは弁当事業に対する肯定的な意見がなにひとつ出されないまま終了となった。

 

それから管理者の予想通り、我らが社長のプロモーション活動が始まった。

社長が親会社からの圧力を受けたことは言うまでもない。

まず、社長はどこからか「栄養」に関する勉強会を見つけてきた。これは回覧が回ってきたが、参加者ゼロ。

次に社長が行なったのは、在宅栄養管理のプロを取り上げたNHKの番組〜プロフェッショナル〜の宣伝。放送後には自らそれをDVDに焼き、2枚をデスクに置いて私たちに見るよう促した。社長の狙いとしては、私たちに栄養学への関心を高め、そこから何とか弁当事業への協力に繋げたかったのだろう。

しかし社長は肝心な時に詰めが甘い。DVD2枚のうちの一枚にプリキュアが録画されていたことが、DVDを見た看護師によって明らかになり、社長はそのイージーミスにより改めて自分の首を絞めることになった。社長の名誉のために言っておくと、プリキュアは社長の娘がすり替えたものらしい。

 

そんなこんなで社長は、親会社と専門職の間で板挟みにあい、苦境にさらされている。

ある時喫煙所に、思い悩んだ様子でタバコをくわえる社長が居たので、思わず声を掛けた。

「厳しいよ。きびちい。」

珍しく弱音を吐いていた。若輩者の私には、それ以上踏み込んだ質問はできず、「ご事情、お察しいたします。」と答えることしかできなかった。

 

その後、社長には外回りの仕事が増えた。

そして外回りや会議に出席した後は、決まって直帰するようになったのである。

なるべく会社に居たくないのだろう。

そう思っていたのだが、どうやら理由はそれだけではなさそうなのである。

数日前、社長のデスク周りを掃除していた事務の方が、ゴミ箱からピンク色のアヤしい会社名と源氏名が記された名刺を見つけてしまったのである。これを見つけたのが私であれば、それこそ”ご事情をお察し”し、何も言わずシュレッターにかけるのだが、その事務の方は管理者にそれを提出してしまったのである。

今事業所ではその話題で持ちきりだ。

それに追い打ちをかけるように、そういえばこの前の会議は珍しく錦糸町だった、とか様々な疑惑が浮上している。

結論として、社長は直帰の時は妖しい店に立ち寄っているという話になった。

 

だが、この話を聞いていて私は、社長の気持ちも察せざるを得なかった。

親会社からの圧力と、従業員からの反対の間で板挟みにあっている現状は、社長にとってどれほどのストレスだろうか。そのストレスがもしも錦糸町で癒され、明日への活力になるのであれば、わざわざ直帰してまでデイタイム割引を使う意義はある。

皆が業務に取り組む中、直帰する社長のこのような行動は、明らかに”違法ではないが不適切”だろう。

しかし、私は社長の心労を考えると、もっと寛容になっても良いじゃないかと思っている。それは普段、あらゆることに寛容に対処してくれる社長への恩返しとして、私たちはその受けた恩恵を忘れてはならないと思うからだ。

 

このように社長擁護派の私だが、一つだけ社長に対して言わせて頂きたいことがある。

それは昨日社長が午後出勤をしたことに対してだ。

 

もしもデイタイム割に飽き足らず、早朝割にまで手を出したのなら、私は言いたい。

「社長、いくらなんでもセコすぎます。」と。

 そこは若手にもっと夢を見せて欲しいと思うのだ。

 

公私混同。いや、公私に渡り、己のコン棒を振るい続けた社長は、

次の定例会で今度は管理者から厳しいヒアリングを受けるだろう。

これは社長の反撃のチャンスだと思っている。ピンチではなくチャンス。

社長には是非、腕を組み、顎をしゃくり、管理者の追求にこう答えていただきたい。

「味の好みは人によって違う」「週替わりだとしても飽きてしまう」「そもそも自宅じゃなくてデイサービスで食べる方がベター」

 

 

私がボブディランを嫌いになった日

 

これは私が『ディラン好きの日記』を始める少し前の話。

 

2010年3月、Zepp Tokyo

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溢れんばかりの期待を胸に、会場へ向かった。

今日は、あのボブディランを生で拝める日なのだ。

イヤホンから流れるディランを聞きながら、私はこの日が来るのをずっと待ち望んでいた。

特徴的なダミ声。コード進行は単調なのに、難解な詞。なぜここまで引き込まれるのだろう...?このような疑問と共に、私は大学生になったのを機にディランに傾倒していくこととなった。

 私の中でボブディランは”フォークの神様”だったし、伝説の人だった。

そんな過去の偉人が今も生きていて、その歌声を生で聴ける。私にとってそれはビートルズ来日と同じくらいの歓喜を意味した。

レイチャールズもシナトラもPPMもジョンレノンも、皆死んでしまった。でも、ディランは生きている。これはすごいことだった。

 

ライブには高校からの親友を誘った。彼は私にディランを知るきっかけをくれた人物である。彼と私は、少し鼻につくくらいの外国かぶれと古いものを好むという点で共通点があり、気が合った。 

意気揚々と会場に着いた私たちは、グッズ売り場でディランの顔が描かれたTシャツと、特製チロルチョコを買って開場を待った。

このチロルチョコは今も家の冷蔵庫に眠っている。

 

会場内はオールスタンディングで、大きめのライブハウスといった感じだった。

幕はほぼ定刻通りに上がった。ついにディランとの対面である。

ディランは大きめの白いスペイン帽子を深くかぶり、漆黒のジャケットに身を包んで出てきた。

「ボヴィー!!!」会場に歓声がこだまする。眼前のボブディランは思ったより小さく、お腹が少しポテッとしていたが、眼光は鋭く、オーラがあった。

 

バックバンドの演奏とともに、ライブは途端に始まった。

何を歌うのか注意して聴いていたが、ディランはボソボソとつぶやくばかり。なにがなんだかわからないまま、一曲目が終わった。

「おお..!なんかわからないけど、すごいね...!」

「ああ..なにかわからないけど、すごいな...!」

お互い顔を見合わせ、私たちはボブディランが目の前で歌っているという事実をただ確かめ合った。

すかさず2曲目が始まる。

アレンジが効いているものの、『Don't Think Twice,It's All Right』であることがイントロでわかり、テンションが上がる。会場のボルテージも急上昇していた。

しかし、ディランは相変わらずつぶやくばかり。それは控えめに言っても歌っているとは言い難かった。いや、もともと弾き語り調で歌うことは知っていたが、この時のディランはもはや”語る”こともせず、ただ”つぶやいている”ようだった。

とはいえ、知っている歌が流れると嬉しい気持ちになる。

この調子で有名な曲をどんどんやってくれ〜!というのが私たちの願いだった。

 

しかしそれ以降、3曲目から9曲目まで私たちの知っている歌が流れることはなかった。

その間、立ったままボブディランのツイートを聞かされ続けた私たちは、正直なところウンザリしていた。

そんな折、10曲目に超有名曲『Mr.Tambourine Man』が始まった。

再び息を吹き返す私たち。だが、やっぱりCDと違いすぎる。

「話が違う」

私はそう思っていた。

周りを見渡すと、ちらほらボー然と立ちすくしている観客を見かけたから、そう思っていたのは私だけではなかっただろう。それ以降もディランは、『Like A Rolling Stone』や『All Along the Watchtower』などの有名曲をやってくれたが、有名曲であればあるほど、その期待値と実際の演奏のギャップが広がってしまい、私はガッカリしてしまうのだった。

いつしかボブディランに対する私たちの羨望は、絶望へと変わっていた。

この時私が持っていた感情は、端的に言えば「金返せ」だったし、親友は「もう来んな」だったらしい。

「ボブディランも年だから、しょうがない」

CDのように歌わない理由を、年のせいにすることで私達は一応納得し、帰路に着いた。少なくとも、もうディランのライブに足を運ぶことはないだろうと確信した。

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これが、私がディランを嫌いになった日であり、

それは言い換えれば、本当の意味でディランを知り、好きになるきっかけになった日でもある。

 

この日、私達がディランに絶望したのは、端的に言えば私達がディランをよく知らなかったからに他ならない。

今も現役で曲を生み出し続けているディランの最近の曲を聞こうともせず、ディランを”過去の偉人”と決めつけて、ノスタルジーにふけっていた私の怠慢だった。

実はディランはそのようなことを最も嫌う人だった。

ライブで曲をアレンジして歌うのは、昔のように声が出ないからではない。敢えてそうしているのであり、ディランからしてみれば、昔のことはすでに過ぎ去ったことで、うつろう時と共に、常に変化し続けていかなければならないと考えている。だから昔の曲も大幅なアレンジを加える。皆が期待するように、CD通りに歌うのは簡単だが、聴衆にどう思われるかの前に、アーティストとしての自分の生き方を貫いているのだった。

このことも知らない私達は、その無知さの故に、ボブディランに対して失礼な観測をしてしまった。

とはいえ、このようなディランの生き様についていくか否かは、別れるところだと思う。私たちのようなミーハーがディランのライブに行くと必ずぶち当たるのがこの壁であり、ここでディランを追いかける選択をした者には棘の道が待っている。それほどボブディランを好きになるには体力がいるのだ。

 

 

帰りすがら、私は改めてディランを聴いていた。

イヤホンから聴こえるディランは間違いなく、私が憧れたそれだった。

それは確かに存在し、これからも変わることがない。

今のディランのアレンジは理解しがたいけれど、もう少しディランを知ってみたくなった。この時私は、ディランを追いかけることを決めたのである。

 

この日から6年後、二度と行くまいと決めていたボブディランのライブにリベンジする日が来ることを、この時の私はまだ知らない。

 

コーヒーが好き。

 

コーヒーが好き。

1日3杯は飲む。本当は5杯くらいいきたいけど、頻尿だから抑えてる。

一番安いのに、一番眠気を覚ましてくれる。

喫茶店に入ると、とりあえずコーヒーを頼んでしまう。ケチだからじゃない。

それくらい僕はコーヒーが好きなのだ。

 

 

コーヒーが好き。

ブラックではいかないけど、味が好き。

いつもミルクは入れてる。本当は砂糖もいきたいけど、頻尿だから抑えてる。

ペーパーフィルターも、コーヒーメーカーも持ってないけど

家ではネルドリップで飲むくらいの意地はある。

 

 

コーヒーが好き。

自分で豆は挽かないけど、匂いが好き。

だからタバコ臭い喫茶店には入らないようにしている。あとトイレが一つしかない所。

タバコは嫌いだけど、コーヒーは好き。僕はコーヒーが好きだから

タバコをやめられない人の気持ちも、少しは分かるようになった。

 

 

コーヒーが好き。

いつか自分で豆を挽いてみたい。

そして暗めの間接照明とボサノヴァの中でそれを嗜みたい。

本当は山の中でやりたいけど、頻尿だからやめておく。

今はまだ、カルディのショーケースを眺めるのみだけど

僕だってタダでコーヒー飲みにいってるわけじゃない。

 

 

コーヒーが好き。

頻尿だけどコーヒーが好きなのか、コーヒーが好きだから頻尿なのか

そんなことはどっちだっていい。

ただ僕は、今どうにかして頻尿を治したいと思っている。

 誰か僕に、頻尿の治し方を教えてくれないだろうか。

IELTSを受けてみたら、ムズすぎてゲロ吐きそうになった話

 

こんばんは、ディラン好きです。

胃が尋常じゃなく痛いっていうエントリを最後に、更新が途絶えてしまいました。

一部では死亡説が流れたようですが、GW返上で働いてウォーキングデッドのようになったので、死亡説はあながち間違っていません。

 

実はもう一つこの期間、私には死亡フラグが立ちました。

なにかって?それは、留学死亡フラグです。

そう、私はIELTSにボコボコにされたのです。

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IELTSとは?

International English Language Testing SystemIELTS, アイエルツ)は英語熟練度を測る英語検定の1つで、ケンブリッジ大学ESOL試験機構、ブリティッシュ・カウンシル、IDP Education社によって協同で運営されている。

オーストラリアイギリスカナダアイルランドニュージーランド南アフリカ共和国のほとんどの教育機関で受け入れられ、アメリカ合衆国の3000以上の教育機関で受け入れられている。またオーストラリア、ニュージーランド、カナダへの移民の必要条件となっている。  Wikipediaより引用

 

こんな私ですが現在、英国の大学院への留学を考えています。

英国の大学、及び大学院では英語能力を示す試験としてIELTSのスコアが必須条件とされています。

IELTSは①リスニング、②リーディング、③ライティング、④スピーキングの4つで構成されており総合的な英語力を試されます。私が過去問を開いたのが3週間前ですから、ブログの更新ストップが私の焦りを物語っていますね。

 

 

IELTSを受けてみた感想

まず、IELTS当日の受付手続きですが、なんだかすごく面倒くさかったです。

IELTSはセキュリティがすごく厳しくて、教室の出入りをする度にパスポートを提示して手続きをしなくてはなりません。だから3時間くらいのListening,Reading,Writingテストの間は、トイレへ行く時間はないと思った方がいいです。只でさえ時間が足りないテストなのに、再入場手続きで時間をくってしまうからです。

最初の受付ではパスポートで名簿確認をするための列に並んだ後、写真を撮るためにまた別の長蛇の列に並ぶ必要があり、受付にかなり時間がかかりました。列を分けるならカメラの台数を多く用意してくれれば良かったのですが、3台しか置いてなくてかなり効率が悪かったです。さらに誘導がわかりづらくて、会場は割と混乱してたと思います。この時は怒り出す人もいたりして、ちょっと空気が悪かったです。

結局40分前に受付をして、会場に入れたのは試験開始直前でした。

試験会場の中には鉛筆、カバーを外した消しゴム、ラベルを外した水、だけが持ち込みを許可されています。一応事前に確認したらティッシュと鉛筆けずりは会場に置いてあるということで安心してましたが、ティッシュをとるのも挙手して係員にお願いする形でした。お願いした後、しばらくティッシュがやって来なかったので鼻炎の私はかなり焦りました。そんなこんなでドタバタの中試験は開始。

 

①リスニング

大学卒業以降、唯一私と英語を結びつけてくれていたボブ・ディランですが、リスニングには全く貢献してくれませんでした。洋楽でリスニング力が上がるみたいな話はきっとウソでしょう。

リスニングは最後に10分間、答案用紙に答えを書き移す時間があるのですが、私はいくつかの答案を、問題文と選択肢から類推して答えを埋めるという荒技で乗り切りました。

 

②リーディング

リーディングは直前に何回か練習問題を解いたおかげで、まあなんとかなったかな?という印象です。もちろん時間は足りなかったし、どれくらい正答できたかはわからないけど、4つの中では一番「試験を解くことができた」感じはありました。

 

③ライティング

これですね、まずゲロ吐きそうになったのは。

ライティングは2部に分かれています。1部はグラフやら表やら図が与えられて、それを20分以内/150字以上で特徴を記述するんですけど、割とこれは練習では出来ていたんです。なんとなく型みたいなのがあったから、それを真似すればよかった。でもこの時出てきたグラフはちょっと分かりづらかったんですよね。で、ちょっと考えて途中まで書いたところで、第2部に目がいってしまったんです。第2部の設問は確かこんな感じでした。

近年、女性の第一子出産年齢の高齢化が傾向として見られるが、それにはどういった要因が関与しているか?また、出産年齢が高齢化することで起こるメリット・デメリットは何か考察しなさい。

(制限時間40分/250字以上)

これを見て私は、「あれ?イケるかも」と思ってしまった。

実は2部についてはまだ対策ができていなかったので、捨てるつもりだったのです。しかし、テーマが何となく書けそうなものだったため、私は第1部を途中で辞め、第2部に移ってしまったのです。これが悲劇の始まりでした。

何となく原因が思いついたこの問題ですが、いざ英文として構造化しようとした時、なかなかうまくいきませんでした。そして意外と結論が出てこなかった。

求められるのは論理的文章なので、結論が出なければ書き始めることができません。この問いは二つのことを求めていて、一つは出産年齢の高齢化の要因、もう一つはそれについての自分の立場です。この二つ目の立場を決めるのに私はあれこれ迷ってしまったのです。

こうしているうちに時間は過ぎていき、結局私は1部、2部ともに中途半端な記述のままタイムアップを迎えてしまうという悲劇を迎えました。

 

④スピーキング

昼休みをはさんで、最後にスピーキングのテストが行われました。

ネイティブの面接官と一対一で行うこのテストは、私の頭の中のシュミレーションで一度もうまく行ったことがなく、始まる前からかなり緊張しました。

最初の導入は、自分のことに関する質問なので、まあなんとかなります。

問題はPart2以降で、ここでは幾つか決められた質問がなされます。

今回は、

最近、ちょっと腹が立った出来事を教えてください。

それはいつ、どのような場面で?

なぜそれに腹が立ったのですか?

こう書かれた紙が渡され、1分後に話し始めなくてはなりません。

腹立たしいことは数あるはずなのに、この時は焦りのためか全然怒りのエピソードが出てきません。結局、「電車で若者が高齢者に席を譲らなかった」みたいな陳腐なエピソードを作り上げたのですが、思いつかない単語の言い換えができず、しどろもどろになってしまいました。

最後のPart3では

あなたの国において、人々は感情を表に出しやすいですか?

それはなぜですか?

感情は隠すほうがいいと思いますか、表出したほうがいいですか?

それはなぜですか?

一般的には、男性よりも女性のほうが感情を出しやすいと思いますか?

それはなぜですか?

このような質問でした。

ここでも言いたい単語が思いつかない時の対処がしきれずタイムアップ。

最後らへんは、well..Let me see...Give me a second...I'm sorry,could you say it again?でお茶を濁しましたが、完全な敗北感を背負ったまま教室を後にしました。

 

 

それでも受けてよかった。

 安い受験料ではないので、しっかり対策をしてから受けようかとも思ったのですが、今回とりあえず受けてみて良かったです。

やはり実際受けてみるとわかることが多々ありますね。

例えばリスニングとリーディングは日本で暮しているからか、なんとかなる気がしました。それはやはりこういう試験には慣れているからでしょう。全部を理解しなくてもポイントを押さえれば解けてしまう問題が多いし、対策の仕方がわかるのです。

一方で、ライティングはちょっと英文法とイディオムを抑えるだけじゃダメだなと感じました。まず設問に対して、日本語でも制限時間内に文章を書けるのかという問題があります。もちろん普段から関心を持ってる事柄なら書けるでしょうが、全く考えたこともないことに対して書く能力が私にはありません。例えば、「都市部においてモーターバイクを持つことのメリットは何か?」といった場合に、瞬発的に反応することができないのです。

IELTSは厳しい制限時間の試験なので、普通の論理力に加え、瞬発力を鍛えなきゃいけないと思いました。スピーキングなんてまさにその瞬発力を試されていると思います。英語力以前に、私にはこうゆう練習が必要だったのです。

学生時代に避けていたディベートを、積極的にやっておけばと今更後悔してます。。

いずれにせよ、私のIELTSスコア獲得への道のりはやっと始まったと言えるでしょう。

道のりは遠すぎる。

 

www.eiken.or.jp

 

 

胃もたれ

 

風が強く吹いている。

雲は異常な速さで流れてゆく。

まるでこの世の終わりのような、異様な感じがする。

今日は朝から、救急車がよく通る。

僕はその様子を布団の中でぼんやり眺めてる。

こんな日は一歩も外へ出たくないのだけど、夕方には出なくてはならない。

 

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昨日は友達と別れた後、腹痛に襲われた。

最初は胃もたれかと思ったけど、痛み方がいつもと違った。

なんとか家について、風呂に入る力もなく横になった。

呼吸をする度に、ミゾオチの辺りが痛い。

盲腸かと思って、右の下腹部を押したらズキッとした痛みが走った。

痛みに不安が被さって、寝付けないでいた。

 

おもむろに携帯で「盲腸」を検索する。

そしたらやっぱり該当することばかりだった。

治すには手術が必要らしい。

職場のことが頭に浮かんだ。一週間以上も空けることになれば、色んな人に迷惑をかけてしまう。手術はなんとかして避けなければ。

 

痛みは治まる気配はない。

熱はない。でも病院にいこうか。休日だから、救急外来にいかないと。

救急外来は期待できないなー。

さっきのサイトに書いてあったけど、盲腸は誤診率が20%らしいじゃないか。誤診で腹を切られたくない。

しかも救急だから加算がとられるんじゃなかったっけ。

まあ、でもお金のことは今はいっか。

 

そんなことをぐるぐる考えていたら、気づけば朝になってた。

痛みは多少落ち着いていた。

今は下腹部を押しても、ズキっとしない。

やっぱりただの胃もたれだったのかな?

しばらく外食は控えようか。

ホッとしたからか、なんだか身体に力が入らない。

なにもする気が起きないから、なんとなく横になって外を見ている。

 

 

風が強く吹いている。

雲は異常な速さで流れてゆく。

まるでこの世の終わりのような、異様な感じがする。

今日は朝から、救急車がよく通る。

僕はその様子を布団の中でぼんやり眺めてる。

こんな日は一歩も外へ出たくないのだけど、夕方には出なくてはならない。