病棟のジレンマ
病院で働いていると、「手に負えない患者」に一度は出会う。
(ここで言う「手に負えない患者」はクレーマーとは異なる。重度の認知症か、入院による混乱により不穏状態になっている人のこと)
着替えをさせようとしても頑なに拒み、おむつ交換をしようにも嫌がる。
そればかりか、おむつの中に手を突っ込んで排泄した便をこねくり回したり、病室の床に立ち小便をしてしまったり、「手に負えない患者」の行動は文字通り予測不能で、病棟の看護師やケアワーカーが働く現場はまさに戦場のようだ。
ナースコールが鳴る度、走る看護師。
一人で歩き出さないように床に敷いたセンサーマットがあちらこちらで鳴る。かと思えば、トイレで転ぶAさん。看護師たちが駆け寄る。タイミングを見計らったかのように、点滴を抜くBさん。腕から血が噴き出す。
このように病棟では同時多発テロが何度も起こる。
ある時、舌打ちをしながら病棟を駆け抜けていくナースを見かけたが、このような状況なら無理もない。
私たちのような他部署の医療従事者は、その流れ弾に合わないように存在感を消すことで必死だ。タイミング悪く話しかけてしまったら最後、私たちは二度とナースを「白衣の天使」などと呼ぶことはできないだろう。この時ばかりは医者の存在感も、スラムダンクの角田レベルだ。
存在感を消す角田、潮崎、御子柴の図
病棟の業務は、すべてがスケジューリングされて遂行される。
例えばお風呂の時間。特に介助が必要な患者の場合、病棟のお風呂の数は限られているので、たいてい分単位で患者の入浴時間は決められていて、びっしり詰まっている。
入浴の順番が来てダダをこねる患者がいようものなら、嫌がっていようが、半ば強制的に入浴させなければならない。そうしなければ、業務を終えられないのだ。
大抵の病院では4〜6人部屋をひとりの看護師が、多い時は2部屋を受け持つというのだから、頭が下がる。
しかし一方で、「手に負えない患者」は忙しさの中で粗雑な対応を受けてしまいがちだ。
「この患者は言ってもわからない」とレッテルを貼られてしまうと、おむつをいじるなら、手が使えないようミトンをはめられてしまうし、勝手に動いてしまうなら車いすに張りつけられることになる。
看護師は「言ってもわからない」と思っているので、声もかけずに病室のカーテンをあけるかもしれないし、目を合わせないで処置を終えてしまうかもしれない。
このような対応に「手に負えない患者」はより抵抗を強め、決してケアに協力しまいと、身を固め、身を守っている。
このようになってしまっては、お互いはもうわかり合うことは出来ない。たいていは患者が治療困難とされ、病院を追われることとなる。
患者の立場に立てば、このような状況は地獄だ。無視をされ、強制的に処置をされる毎日。自由に動くことも許されず、自分のタイミングで風呂に入ることも許されない。食事はおいしくないし、注射は痛いし…。不安は怒りに変わり、大声を出してしまうかもしれない。
人間らしい世界から疎外され、人として扱ってもらえなければ、その人たちは自分を守るために戦うしかありません。叫んだり、周囲にあるものを叩いたりするか、もしくはすべてを諦めて閉じこもり、目を開けることも、言葉を発することもなくなります。 [(医学書院)ユマニチュード入門 より]
でもそんなことは、本当はみんなわかっている。
嫌味な師長も、いつもカリカリしてるあの看護師も、
ほんとうは、ひとりひとりのパーソナルな部分に寄り添って、ケアをしたかったはずだ。
ほんとうは、患者の力になって、喜ばれるために仕事をしたかったはずなのだ。そうでなければ、大変な実習や国家試験をくぐり抜けてまでこの仕事を選ぶ理由はない。
でも実際に現場に出て経験を積むうちに、それは絵に描いた理想なのだと、いつしか諦めてしまう。組織の中では、やはり組織のやり方に合わせなければ生きてゆけないし、先輩もやっているのだから…と真似するうちに心が鈍り、どんなことにも慣れてしまう。これは患者を一人の人間として尊重することも忘れさせてしまう程、強力だ。
これは看護師が悪いという話ではなくて、人間というものは、そーゆうものなのだから仕方がない。逆に言えば、本当は…という罪悪感を抱えながら、看護師は患者の手にミトンを被せているのだ。
私は、つくづく環境とかシステムって大事だなと思う。
このように良い医療、良いケアというものを考えるとき、現場で働く人間ばかりを問題にしても進まない。
病棟の良いシステムってなんだろうか。ずっと考えているけどわからない。
とかくケアの現場では、このような病棟のジレンマが存在していることを憶えておいてほしい。