ディラン好きの日記

転がる石のように

「退屈」と「消費」と「恋愛」についてのメモ

 

 

私はこのイベント…参加できなかったのだけど(泣)

勝手にこのテーマについてメモメモ。

inkyodanshi21.com

 

「暇」「退屈」「消費」「恋愛」

私がこれらの言葉から最初に連想したのは、高度に成熟された社会の姿だった。

毎日を生きるために必死なひとが「暇」を覚える余裕なんてない。

「消費」なんて最低限の衣食住を賄うものしか考えられない。

「恋愛」なんてする気持ちの余裕も、金もない。

 

だから「退屈」や「消費」や「恋愛」について悩むこと自体、贅沢だ。

それは、 高度に成熟した社会の、贅沢な人達の悩みなのだ。

どちらかと言うと、ウェブ上で華やかに生きる人のためのイベントなんだろうな、というイメージを持っていたので、自分が行っても浮くだけだろうな…って、なよなよしているうちにチケットは完売してしまっていた。

 

でも、よくよく考えてみると私がこれらの言葉に持っていたイメージは非常に短略的だったのかもしれない。

 

前になにかの番組で、アジアの発展途上国の(どこの国かも憶えていない)スラムに生きる少女を追ったドキュメンタリーみたいなのをみていて印象的だった光景がある。

それは、大量のゴミの山の中に体育座りをして、遠くをぼんやり見つめている少女の姿だった。

 

番組のナレーションは、劣悪な環境で生きなければならない少女の気持ちを代弁していたけど、私には、この少女が退屈そうにしているようにしか見えなかった。

あまり悲観的な表情をしているようには見えなかった。むしろ、この環境に慣れきってしまっている、その不自然さが、私の印象に映像として深く残ったのだろう。

 

人間にとって、「暇」や「退屈」そして「恋愛」という感情の出現は

そこが高度な社会か、スラム街かに関わらず、変わらない毎日の中にこそある。

 

あのスラムの少女もきっと、毎日変わらない暮らしの中で、「退屈」だったのだろう。それがどんなに劣悪な暮らしであったとしても。

 

 

いまさらそんなことに気付いてイベントに参加できなかったことを悔しんでいても仕方がないので、自分なりに「退屈」と「消費」と「恋愛」の関係性について考えてみる。

 

この3つのテーマを見たときは

退屈と消費ね〜ふむふむ。んっ?なぜ恋愛…?

とすぐ他の二つとの結びつきを連想できなかったけど、

今はむしろ「退屈」と「恋愛」って強く関連していると感じる。

 

恋をする時って、その前置きに必ず退屈な日常がある気がする。

横断歩道で向かい側に立ってる人に一目惚れしちゃう瞬間も、

授業中にふと窓際に座ってる女の子の横顔にドキッとする時も

やっぱりその一寸前は、変わらない日常だし、退屈な時間だ。

これは漫画や映画の世界だけじゃなくて、実際私達が恋をする時もそうだと思う。

「退屈」が「恋愛」を生む。退屈あっての恋愛。

逆に、「恋愛」から「退屈」に変わることもよくある。

いわゆるマンネリズム。恋愛が退屈に変わる瞬間である。

そう考えると、そのマンネリを超えて結婚するという行為は興味深い。「恋」と「愛」の違いが少しわかるような気がしてきた。

 

それはともかく、「退屈」と「消費」の関係性がよくわからなくなってきた。

消費することで退屈になるのはなんとなくわかる気がする。

それはたぶん、「消費」することで満たされてしまうからだろう。

どんな小さなことでも、消費の積み重ねは、変わらない日常、つまり「退屈」に生まれ変わる可能性がある。

つまりどんなにブログやTwitterで新たな情報を摂取していても、それがルーティン化してしまえば退屈になる。

 

逆に「退屈」だから「消費」しよう、というのはどうだろうか。

最も合点がいっていたこのつながりも、ん?となってしまっている自分がいる。

それはもう私が消費という言葉に行き詰まりを感じているからかもしれないし、社会が「消費」をルーティーンとしてしまっているからかもしれない。

 

じゃあなにが「退屈」を埋めるのか?

この点に関してはチェコ好きさん(id:aniram-czech) が言いたいことを言ってくれている気がしていて、「生産」になるのかなーと思ったり。

aniram-czech.hatenablog.com

 

その「生産」の方法も色々出てきてて、個人が生産するという従来のものから、“参加型”のイベントが増えているような気がする。つまり“場を創る一人”として生産に関わる方法だ。

このイベントでも、そこらへんの狙いがあったようだ。

 

 そーいえば前に書いた

このエントリも、

“はっちゃける”という消費よりも、読書をすることで“生産”したらどう?みたいな話でもあったけど、今度は読書という自慰だけじゃなく、こういったイベントに足を運んで、新しいかたちの「生産」を肌で感じてみたい。

 それが自分に合う、かどうかはわからないけれど。

 

眠すぎてなにを書いているのかわからなくなってきたので、今日はこのへんで。