【NYひとり旅 回顧録8】NYの病院を見学してきた!
医療技術分野における絶対的先進国、アメリカ。
それは私が専門とする理学療法分野でも同様の立ち位置にある。
アメリカが発祥
アメリカは最先端
よってアメリカはすごい。
私達はこの言葉を妄信している。
本当にアメリカの理学療法は進んでいるのだろうか?
それをこの目で確かめるべく、私はマンハッタンのとある病院を訪れた。
今日はその感想をまとめておきたい。
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NYに行くことを決めた私は、せっかくならアメリカの理学療法をこの目で見てみたい、という思いにかられていた。
アメリカの理学療法は進んでいる、というのは聞いていた。なにが進んでいるのかはわからなかったが、教科書にもアメリカで発展した理論がベースとなっていることが多いし、やはりアメリカのそれは進んでいて、日本はそれを追いかけているというイメージを持っていた。
アメリカで理学療法士という職業はPhysical Therapistと呼ばれ、2015年度のアメリカにおける人気職業ランキングでは、第6位という人気のある職業だ。日本で理学療法士がPTと呼ばれるのも、この頭文字を取ったことが所以だ。
アメリカにおけるコメディカル(医者以外の医療職)は専門職としての立場が確立されており、理学療法士免許を取得するためには大学卒業後に修士、或いは博士課程を修了する必要がある。
法制度上、米国の理学療法士には独立開業権が認められているため、卒業後即戦力として現場に出れる様、臨床実習は全体で6ヶ月以上と日本に比べて長い。国家試験も学校側が対策を講じることは特にないらしく、自力で乗り越える必要があるなど、教育は全体的に厳しめな印象だ。したがって本当にPTになる熱意がない人間は切り捨てられるし、例えなれたとしても、実力主義であるため、専門理学療法士の認定を目指すなど、アメリカという自由主義の競争社会風土が、PTの専門性を高めるインセンティブとして働いているようだ。
思い立ったのは良いものの、どうしたものか、私にはニューヨークに知り合いなどいなかった。ましてや医療関係者などいるはずがない。
私の持っている交遊関係では不可能であることを知り、スカイプで急遽アメリカ人の友達を作ろうと試みたが、効率が悪すぎてやめた。
はじめから私に残された望みはただ一つ、教授のコネクションしかなかった。
私は一つ一つ教授の部屋を尋ね、ニューヨークで働いている知り合いの理学療法士を紹介してもらえないかお願いしてまわった。
教授面々は、忙しいにも関わらず私の話を親身に聞いて下さり、ツテをあたってくれた。その中に一人だけ、担任の知り合いにNYで働いている理学療法士がいるとのことで紹介してもらった。
紹介されたその人はハセガワ先生(仮)という方で、メールでのやり取りの末、OKサインが出たのである。
それにしても人の力ってすごい。自分自身はちっぽけなのに、自分の知り合いはすごい力を持っていたりする。世の中は「他力本願」という言葉をもっと大切にしていいのではないかと思う。良い意味で。
しかしNY出発間際になり、予想外の事実が発覚する。
ハセガワ先生は、見学当日に別の仕事があり、その場に立ち会えないというのだ。
ハセガワ先生の後ろに付いて見学させてもらおうと気を抜いていた私は急に焦りはじめた。「これでは聞きたいこともまともに聞けないのではないか?」
出発3日前から急遽始めたスピードラーニングは、もはや無力でしかなかった。
見学当日の朝、
子供の送迎ついでに病院まで送ってくれるという居候先のお父さんの車に揺られて
私は病院に到着した。
ハセガワ先生から受け取っていた指示通り、2階のリハビリテーション部門へ行き、責任者の部屋をノックした。
出迎えてくれたのは理学療法士の責任者であるジェシーさん(仮)
扇子と巾着袋というナンセンスなお土産を喜んでくれるだろうか、不安で我が巾着袋も縮み上がっていたが、ジェシーさんはとても喜んで下さったのでひとまず安心した。
ジェシーさんから施設に関する説明を受けたが、英語が早く、私はついていくのに精一杯だった。
聞き取れたところから解釈すると、
ここは亜急性期病棟と療養病棟が併設されている病院とのことだ。
日本ではあまり見ないが、病院と老人ホームが扉一つ隔てて繋がっており、立派な図書館や広いデイルームなどの設備が充実していた。入院患者と施設入所者の交流もよく行われるのだという。
キャパは詳しく憶えていないけど、中規模病院といったところだ。
ジェシーさんはオリエンテーションを終えると、ひとりの女性PTに私を紹介し、
「今日一日彼女に付いて回るように」言い残し、その場を離れた。
その女性PTはジェシーさんよりも早口で英語が聞き取りづらかったけど、とてもやさしくてハツラツとした人だった。
結論から言えば、
アメリカのリハビリテーション現場も、日本とさして変わらないな、と思った。
置いてある器具も、やっていることも、日本の一般的な病院のそれと変わらない。
いわゆる運動療法を主眼として理学療法に取り組む患者の姿が多く見られた。
作業療法も、テーブルの上で各々が作業に取り組んでいる、よく見る光景だった。
アメリカはかなり先進的なことをやっていると思っていたので、ちょっと拍子抜けしてしまったのだけれど、考えてみればアメリカから輸入されたものを日本でも使っているのだから似ていても不思議じゃない。
むしろ環境面で言えば、この病院のリハビリ室は狭く各階に分散されていて、日本の病院のリハビリテーション室の方が広くて機械も充実しているように感じた。
違った点と言えば、理学療法士が患者に関わる態度だろうか。
私が見学に付いて回っている時、女性PTは出会う人々に明るく声をかけて回っていた。
さながらアメリカの医療ドラマERを見ているかのように、目まぐるしく人が出てきてはひと言、二言会話を交わして過ぎていく。
日本のPTのように、患者に対して遜ったりしていない。まるで友人に話しかけるように、フランクに医療者が患者と会話を交わす。患者も同じようにスタッフに接する。
これは患者⇔スタッフ間だけではなく、例えば医師⇔理学療法士などの医療スタッフ間でも同様で、コミュニケーションにおける垣根がない。お互いがお互いを尊重する、というのは敬語がなくても成り立つのだな〜と、日本語という言語には無い、新鮮な感動を憶えた。
それとここでは、PTが患者に付きっきりで治療をする、という感じではなく、あくまでPTはチェックや激励をして回り、患者自身がそろぞれの課題に取り組んでいる光景が多く見られた。
患者のやる気と日々対峙しなければならないPTにとって、
このように患者が自らの課題に主体的に取り組み、PTはそれを見守っているような関係性は理想的なものかもしれない。
その要因が、アメリカという国の自由と個人主義に由来する国民性なのか、少ない社会保障の中で “今治さなければ生きていける保証が無い” ことへの焦りなのかはわからないが、とにかく患者の主体性を感じられる光景であった。
各階にリハビリテーション室が分散されているのも、もしかすると患者が来たい時に自発的にリハビリができるようにするための工夫なのかもしれない。
(或いは理学療法士が病棟スタッフと連携を取りやすくするためか?ほんとのところは聞きそびれてしまった…)
まとめると、今回マンハッタンの病院を見学させてもらった感想は、
①技術面において、日本とアメリカに差はないのではないか?
②環境面では日本が優れている部分も多いかも
③アメリカはコミュニケーションがフラット
④患者に自立心を強く感じる
といったところか。
もちろんこれでアメリカの理学療法はわかった、というつもりはない。
あくまでもここの病院の一風景を見たに過ぎないため、一概に日本とアメリカのレベルが同じだとは言わない。
急性期の治療が盛んな分、急性期病院ではものすごい先進的なことをやっているかもしれないし、専門病院なんかもまた違うだろう。それは日本でも同じことだ。
街中を歩いていて、開業している理学療法士のクリニックを見つけたら様子を見て見ようとも思ったのだけれど、残念ながら見つけることはできなかったから、そこんとこもまだわからない。
だけれど、今回の見学でわかったのは、理想や憧れといった漠然としたもので人生を決めなくてもいいということだ。
仮にトップの理学療法士を目指すとして、必ずしもアメリカに留学しなければいけないわけではない。そんな漠然とした目標では、行ったところで失望してしまうことになりかねない。
もし私が地域医療やコミュニティ福祉の先端を学びたいとして、アメリカを選択することは適切とは思えない。それはアメリカが自由主義レジームという体制であり、福祉においては後進国であるからだ。
自分がやろうとしていることが本当に今の環境でできないのか、目指すところでは本当に実現できるのか、もう少し自分の中で言語化できればなーと思う。
えーっと、今日も着地点がわからなくなってしまったけれど…
以上、NYの病院見学の感想でした。
追記)後日実家にある当時のメモを見返してみたら、病院のキャパは550床とちゃんと書いてありました。なかなか大きい病院だったんですね。
他にも…
・開業している理学療法士の割合は意外と少なくて、多くは病院勤務
・仕事中のユニホームは着ても着なくても自由
・家族のリハビリ見学も自由にしていい(犬までも!)
という情報が書いてあったので追記しておきます。