【NYひとり旅 回顧録】旅のはじまりと、人生で一番さびしいディナー
皆さん、夏休みを満喫していますか?
私に関しましては、どうにも今年は夏休みというものは取れそうにないので、
昔の夏の思い出にでも浸ってみようかと思います。
およそ5年前、私がまだ大学生だった頃の話です。
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ひとつ、アメリカへ行ってやろう、と私は思った。
三年前の秋のことである。理由は至極簡単であった。私はアメリカを見たくなったのである。
要するに、ただそれだけのことであった。
私はこの頃、この冒頭ではじまる旅行記『なんでも見てやろう』にのめり込んでいました。
そして、どうしても『なんでも見てやろう』のような旅をしてみたくて、夏休みの2週間を費やすことにしました。
『なんでも見てやろう』のような旅を一言でいえば、
寝る場所がなければ他人の家に転がり込み、ずうずうしく飯まで頂くような旅。
となるでしょう。
この頃の私は、よく意味も知らず「ヒッピー」という言葉に憧れを抱いていた記憶があります。なにせ都会のもやしっ子として育ったものですから、遅れて来た反抗期だったのでしょう。
とにかく私ははじめての一人旅の行き先を、
“ーアメリカを見たくなったー”
ただそれだけの理由でニューヨークはマンハッタン、そしてボストンへと決めたわけです。
中古の3万で手に入れた一眼レフと、得意のニコニコへらへら語を携えて。
NYへ到着した私は、すぐにアメリカを感じることができました。
ジョン・F・ケネディ国際空港はうす汚く、蒸し暑く、係員の怒声が人々を焦らせていました。
マンハッタンへ出るには、シャトルバスかエアトレインかタクシーを使うことになっています。
お金のない私のような人間は安いシャトルバスを選ぶのですが、表示はわかりづらく、係員の声も、これまたやさしくないのでした。
私は係員の指差す方へ行ったり来たりするだけで、しばらく空港から出ることさえできなかったのです。(NYへ来る際は、空港からマンハッタンへの出方はよく調べてから来た方がいいと思います。。)
困り果てたので先にバス停に立っていた、若い頃のディカプリオ似の青年に声をかけると、彼は「俺もマンハッタンへ行くからついてこいよ」と言ってくれました。
こうして、ようやくシャトルバスに乗り込みマンハッタンへ向かうことができました。
バスは造りが粗雑で、これでもかというほど揺れました。
その中で私は寝ました。意地でも寝たのです(すでに疲れ果ててた)。
目が覚めると私は大都会の中にいました。
バスの窓越しには車のクラクションと誰かの怒鳴り声が飛び交っていて、私は恐怖を感じました。
ここでディカプリオは次の駅で降りるよう私に言い残し、先にバスを降ります。
彼は最後まで親切でした。
バスを降りる頃には雨がぱらついていて、私は完全にマンハッタンの空気に呑まれていました。
降りたPenn Stationはマンハッタンの3大ターミナルのひとつでデカく、新宿みたいでした。
とにかくインフォメーションセンターを尋ねると、係のおばさんは頬杖をついたまま
行き先を怒鳴り散らしてくれました。
私はこころの中で「くそが!!!!」と叫んでいましたが、
ここはマンハッタン、私の声など誰にも届きません。
※この旅は係員や店員の不親切と、道ゆく人の親切を交互に体験しながら進んでいきます。
ようやく見つけた優しそうな東洋人に切符の買い方と乗り場を教わり、ヘトヘトになりながら、私はなんとか予約していたホステルまでたどり着くことが出来たのです。
マンハッタン滞在中の前半お世話になったChelsea International Hostel
ホステルは基本共同部屋なので、女の人と同じ部屋だったらどうしよう!
なんてドキドキしていましたが、先に部屋で寝ていたのはゴリゴリの男だったので安心しました。。
彼に倣って私もベッドへ横たわると、すぐに強烈な睡魔に襲われましたが、
もう随分なにも口にしていないことを思い出して、疲れ果てた身体を無理矢理起こし夜の街を歩きました。
色々とレストランがあったものの勇気を出せず、結局一番入りやすそうなピザ屋を選びました。
1番安いピザ一切れとコーラを、誰もいない店の片隅で食べました。
汚い店でした。スペイン語で常連とおしゃべりをしている店員を背に、私は今までにない孤独を感じました。
ここでは誰も私のことなど知らず、誰も自分のことなど気にかけていない。
この時とった食事は、それまでの人生で1番さびしいディナーでした。
この時感じた孤独が、わたしの旅に対するスタンスを変えることになります。
それについてはまた今度。
とにかく私は、初日から人に助けられなければ何もできないのだと痛感しました。
しかしこんなことで、
寝る場所がなければ他人の家に転がり込み、ずうずうしく飯まで頂くような旅
などできるのでしょうか 。先が思いやられます。
まあいいや。とにかく私は、ニューヨークに来たのです。
(つづく)
※登場する写真はすべて本人が撮影