陰口ババアが職場をまわす
人間関係における悩みというものは、万国共通いつの時代も尽きることはない。
とりわけ職場における人間関係のトラブルは、厚生労働省の調査を見ても、離職事由の中で依然、高い割合を示している。一億総活躍社会とやらを掲げる政権にとっても、この問題は憂慮する事柄だろう。
そこで、離職率の高さで業界トップ5に入る「医療・福祉」分野に属する我々の職場での取り組みを紹介しておこうと思う。
今後の政策立案において、ぜひ参考にしていただきたい。
私はいま、会社の中で20名に満たない小さな部署にいる。
このような小規模な職場環境は、よく言えばアットホーム、悪く言えば「逃げ場のないムラ社会」「同調圧力の温床」である。
我らが管理者は有能なので、
失敗やミスに対しては、とことん叱責をしてくれるし、
時には他人の意見に揺るがない強いリーダーシップを見せ、自分の経験則から決定を下してくれる。部下たちは皆、その勢いに(足を)引っ張られながら業務に追われている。
問題があるとすれば、
ボロクソなまでの叱責は、直接ミスを犯した本人には伝わらないという点だろうか。
誰も管理者から直接的な注意を受けることはない。管理者を見ても、ニコニコしているだけだ。そのような調子だから、鈍い人間は、自分がいつミスをしたのか気づかないこともある。気づかないまま、気付いたら退職に追い込まれていた同僚の姿もいた。
それ以降我が社では、管理者から愚痴を聞いたら、やんわりと、本人へそのことを伝えてあげることが暗黙のルールとなっている。そのことに気を揉む人も多い。
そう、我が管理者は陰口のプロフェッショナル。
本人に直接注意・指導はしないというのが彼女の流儀だ。
ある時私は、そのプロ根性を直接尋ねてみたことがある。
どうして直接言わないのですか?という質問に、彼女は「私、八方美人だから」と言った。美人かどうかはさておき、不動明王のような確固たる信念に泣けてくる。もうどうにもならない。
一番困るのは、直接言ってもらえないため、反論ができないことだ。例えば、よくよく聞いてみると、当事者のミスではなかった事柄でも、濡れ衣を着せられてしまうことがある。知らぬ間に、話があらぬ方向に進んでいることがあるのだ。
仮に組織的な問題によって生じたミスであれば、再発防止策を検討して全体で共有していかなければならないが、愚痴による個人攻撃では、そのような話し合いも持たれないのである。
このような抜群のリーダーシップのおかげで、後に第三者からボロカスに言われていた事実を伝えられた者は皆、ショックとともにモチベーションの低下に陥っている。
これが職場のあちこちで繰り広げられるのだから、愚痴を聞かされている側も、いつ自分が同じように陰口を叩かれているのか、気が気ではない。いや、どうせ言われているのだ、という諦めのムードがすでに漂っている。
不運なのは、彼女の立場が管理者であるという点だ。
この職場のような小さな規模の会社は、日本特有の村社会を形成しやすい。
本来であれば、このような八方美人タイプは仲間内から嫌われる。そして孤立していくのがオチなのだが、それが管理者である場合、職場で一定の地位を得るために管理者の評価を得たいと思う母数が多くなる。
そうすると、管理者の陰口に”そーだそーだ!”を連呼する側近が現れる。その側近たちが一定の立場を得ると、その同調圧力は周囲を覆い、おのず職場全体の空気を形成していく。
今この職場には、バトルロワイヤルのような緊張感がある。昨日味方だと思っていた奴がいつ敵となるかわからない。ものごとの善悪の基準は、すべて管理者の機嫌、好み、経験則。明確な原則を掲げて、今日もあくせく”そーだそーだ!”のシュプレヒコールが鳴り止まない。
このムラ社会にウンザリして去っていく有能な人材を見る度に、私は業界の未来を憂いでしまう。このような管理者が鎮座している限り、国が給与などの待遇を改善しても早期離職を食い止めることはできないだろう。
私たちが働いているのは、小さな村なのだ。
一人の八方美人によって、八方塞がりとなり、離職へと追い込まれた同僚は今、別の職場で管理者という立場に立っているそうだ。
その姿を見ていると、私自身も身の振り方を考えさせられる。
このままではいられない...!
ついには私も、
小さく拳を握り、
立ち上がる。
声にならない声で
”そーだそーだ!”
シュプレヒコールを叫び始めている...!