ディラン好きの日記

転がる石のように

管理者を陰口ババア呼ばわりしたことを反省したい

 

f:id:dylan-zuki:20160220105854j:plain

職場を取り巻く環境が劣悪になっている。

なにが劣悪かって、人間関係だ。

我が職場、訪問看護事業を統括する部門はワンフロアにまとまっており、極めて閉鎖的な空間である。

そこの中には事務の島があり、福祉用具の島があり、ケアマネージャーの島があり、リハビリ専門職の島があり、そして管理者を含む看護師の島がある。

今、隣の看護師の島で戦争が起きている。その島だけでやってくれるならともかく、張り詰めた空気はフロア内に蔓延、ついにはケアマネ島、事務島、福祉用具島でも紛争が起こる事態となっている。

今まで中立的立場をとってきた我がリハビリ島だが、ついに私達の島にも白羽の矢がたった。

 

私達は毎日、各々の業務を終えてから事務所に集まり、夕礼というものを行う取り決めとなっている。その場では訪問を行った利用者の状況、新規問い合わせの有無や入院の連絡、ヒヤリハットなどの共有事項を報告し合う。カンファレンスのようなものだ。

最初はリハビリ専門職間で行っていた夕礼だが、管理者たっての要望により、看護師とともに行うこととなった。理由は「リハビリが何をやっているのかわからない」「看護師ありきの訪問看護ステーションだから」という上から目線なものだが、そう決まったのは私がここに来る前のことなので、どのような事情があったかはわからない。当時のリハビリ職の状況が劣悪だったのかもしれないから、一概に悪い提案とは言えない。むしろ同じ利用者に対し、看護とリハビリが組み介入することもあるのだから、合同カンファレンスは連携を深めるために重要なことである。

 

一致団結。これからは今日までのことは忘れましょう、そして明日から共に協力し合い、連携を深めていきましょう。高まる機運。

私たちの事業所は変わりつつあった。

その矢先、コトは起こった。

 

数日後、管理者の訪問中にちょっとしたヒヤリハットが起こった。その事項は前日の夕礼で共有していたことであったが、管理者は「私、聞いてない」の一点張り。すごい剣幕でリハビリ島にまくし立ててきたのである。

 

私は以前、このような管理者の独善的、権威主義的人間性に嫌気がさし、”陰口ババア”という暴言を読者の皆様に残してしまった。

dylan-zuki.hatenablog.com

 しかし最近になって、管理者が我々に対しそのような対応をとるのは無理もないと思えてきた。それは彼女自身が耐えきれぬストレスの元にあるからだろう。

というのも、管理者が束ねる直属の部下である看護師同士の仲がすこぶる悪いのである。

大きな要因の一つは一人のクレイジーな看護師の存在がある。彼女は年齢から考えるとかなりのベテランなのだが、薬を塗る手順を間違えるなどのイージーミスが多く、利用者からクレームが相次いでいる。本人曰く、「私は患者さんとのコミュニケーションを大事にしてます」とのことだが、クレームをもらっては元も子もない。そんなことが繰り返されるものだから、同僚が彼女に接する態度もだんだん凄まじさを増している。

大体昼休みと夕方に一回ずつ、事業所に怒号が飛び交う。ベテランが10年以上年下の後輩に怒鳴られているのを見るのは哀しい気持ちになる。せっかくの昼休みも、側から見ているこちらとしては心休まらないのだ。

 

いざこざの原因はそれだけではない。月末になると利用者一人ひとりに対し、報告書及び計画書を作成するのだが、これは分担され、決まった持ち人数分を書くノルマがある。しかし、彼女はいつもその3分の1もこなせていない。聞くところによると、「文章が稚拙すぎる」「論点がズレている」ので、結局ダブルチェックに多大な時間をとられるようなのだ。本人は「今まで計画書を書いたことがないので、書き方がわかりません」と弁明するが、この発言も火に油を注ぐのみである。

結局、何度書き直しを依頼してもダメなので、最近は管理者が残業をして彼女の分の計画書も仕上げている。

 

現在、管理者とその他看護師が結託し、問題の看護師を退職へ追い込もうとしている。企業というものは特別な理由がない限り、従業員へ解雇を通告することができない。つまり「仕事ができない」程度では、解雇できないのだ。この点はとてもデリケートなので、なんとか「自発的に」「辞めて」もらうよう、今日も怒号が鳴り響く。今までその陰口により、幾人もの人間を退職に追い込んできた管理者も、今回ばかりはクレイジー看護師の鉄のハートに手を焼いている。どんなに年下に怒鳴られても、陰口を言われてもケロッとしている彼女は、きっとどんな環境でも生きていける。いや、生きていくだろう。

他人としてこの看護師と関わる分には、悪い人のようには思えない。だがもし自分と同じ

部門にいたなら、私達も同じ状況になっていたかもしれない。そう考えると、管理者のストレスにも同情できる。そして、それぞれの部門が問題を抱える中、リハビリ部門だけが順調とあれば、粗も探したくなるのかもしれない。

 

以上を踏まえ、私は管理者を陰口ババアと呼んだことを反省し、彼女に同情することにした。今にして思えば、ヒヤリハットを起こした時の「記憶にございません」発言も政治家っぽくてかっこいい。

昨日はついに、「看護師が遅く戻る時は夕礼を先に始めてて下さい」「どうして看護師を待つのですか?」というお叱りを頂いた。私の記憶する限り、看護師との夕礼が始まったのは、「連携を深めるため」に管理者が強く要望したからであるが、きっと私の記憶違いだろう。或いはユーレイの仕業かもしれない。

 

管理者が直接的な指導を行わないのは、直接言っても無駄、という適切な人事評価が基にあった。身内をかばい、波が立たぬよう陰口で済ませ、輪を保とうとした彼女の振る舞いは、管理者としての鑑かもしれない。

その結果、身内で戦争が起ころうとも、しょうがないじゃない

にんげんだもの

八つ当たりしたっていいじゃない

にんげんだもの

 

私はいま、相田みつをの境地に立ち、必死で心を鎮めようとしている。

冷静になれば、今まで彼女がしてきた振る舞いは、BossとしてBest Actionだったのだと心を入れ替えることができた。私はこのような管理者としての振る舞いを、略してBBAと呼び、評価したい。

彼女はこの上ないスーパーBBA。

若者風に言うなら、クソBBA。

 

これからは敬意を込めて、“陰口ババア”に代わり、“クソBBA”と呼称することをここに宣言したいと思う。

「私を構成する9枚」を選んだら男ばかりでモサかった。

こんばんわ、ディラン好きです。

私は今まで、はてなで盛り上がっている話題に乗れた試しがないのですが(というかブームに乗るのが苦手)、けいろーさんが書いてたエントリを見て、これなら乗れそうだと思ったのでやってみることにします。と言っても完全に出遅れてますが...

yamayoshi.hatenablog.com

 

f:id:dylan-zuki:20160202224754p:plain

 

 

1.ハイウェイ /  くるり

くるりは大学時代にすごくハマっていました。この歌はメロディ自体は単調だしシンプルなんだけど、歌い出しが気に入ってます。

僕が旅に出る理由は 大体100個くらいあって

もうこの出だしでグッときますね。歌詞好きの私にはたまりません。

一人旅に出た時は、旅先で必ず聴いてました。なんでもできそうな気にさせてくれる曲です。



 

 

2.Progress  /  スガシカオ

好きなんですよね、NHKのプロフェッショナル〜仕事の流儀〜

で、この歌が番組にピッタリ合うんです。番組中、いつもいいタイミングでこの曲がかかって、泣かしにきます。大学受験の時は、これと「栄光の架け橋」を流しながら集中力を維持してた記憶があります。そうゆう意味では、勝負どころでいつも自分を高めてくれる曲です。

この歌も歌い出しの歌詞が好き

ぼくらは位置について 横一列でスタートをきった
つまずいている あいつのことを見て
本当はシメシメと思っていた

ここが一番良い。



 

 

3.God  /  John Lennon

やはりジョンレノンは外せませんでした。色んな歌に影響を受けましたが、Godを初めて聴いた時は衝撃でしたね。確かBSでやってたジョンレノンのドキュメンタリーだったと思いますけど、彼の生涯を見た後に流れたので、尚更心に響いたのかもしれません。

この曲は晩年のジョンの決意表明のような曲です。一番のフレーズはやはりここですかね。

ビートルズなんて信じない

 

 

 

 

4.茜色の夕日 /  フジファブリック

 フジファブリックも、NHKの特集を見て聴くようになりました。

亡き志村さんがこの曲に込めた思いを知ると、泣けてくる歌です。

この曲の好きな歌詞はこれですかね。

東京の空の星は 見えないと聞かされていたけど

見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 フジファブリックは他と一線を画す、独特の世界観が気に入っています。


フジファブリック/茜色の夕日【Live at 日比谷野音】

 

 

 

5.てっぺん  /  ゆず

 私の青春時代を支えたゆずは「私を構成する」要素としては欠かせません。

この歌はゆずの1st.ミニアルバム『ゆずの素』の中の一曲目なんですけど、このアルバム、路上で録音したものをそのまま収録してるんです。だから、MCとか観客の声とか雑音とかもそのまま入ってます。私としては、その路上感こそがやっぱりゆずだな、と思うし、若気の至り感のあるハツラツとしたゆずを聴くとやっぱり嬉しくなります。

正直ゆずから一曲だけを選ぶのは難しいですが、最初のアルバムの一曲目という、始まりの歌なので、これにしました。好きなところはここですね。

完全勝利甘い味しか 知らない人に

こんなこと言ってもわかんねえだろうけど

お前らが勝者と名乗るなら 「絶対勝者」と名乗るなら

進む道はただ一つ 本当の勝者になってやる

 

 

6.Tears In Heaven  /  Eric Clapton

 これは浪人生の時にyou tube漁ってて辿り着いた曲ですね。

この時はよく洋楽の名曲を息抜きに聴いてて、ビリージョエルとかライオネルリッチーとかフランクシナトラをよく聴いてましたが、エリッククラプトンとの出会いは衝撃的でした。

メロディがまず素敵ですけど、歌詞に込められた背景がすごいです。

クラプトンは自分の息子を5歳の時、自宅高層マンションからの転落事故により亡くすという悲劇を味わっています。あまりのショックにクラプトンは薬物にはまってしまい、活動も休止状態になるんですが、この歌を作ることで活動を再開します。歌詞を聴くとわかりますが「もしも天国で会ったら、僕の名前を覚えていてくれるかい?」と語りかける相手は亡き息子で、これは息子に宛てた曲なのです。

私にとってこの曲は、歌という概念を超えたものとして、心に残っています。

お父さんは強くなくては

そして生き続けなければならない

なぜなら私は、天国にはいけないから 

 


Eric Clapton - Tears in Heaven

 

 

7.落陽  /  吉田拓郎

 ディラン好きなのだから、たくろうは避けて通れません。

この”和製ボブディラン”から受けた影響も大きく、私がかっこいいと思うものは、つまりは吉田拓郎的なものと言えるかもしれません。

 いまこそ吉田拓郎だと思う - ディラン好きの日記

 ここにも書きましたが、この曲の時代性と物語性、片隅で生きる人々にフォーカスする視点は、吉田拓郎の真骨頂だと思ってます。

サイコロころがし あり金なくし

フーテン暮らしのあの爺さん

どこかで会おう 生きていてくれ

ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった

男の話を聞かせてよ サイコロころがして

 



 

 

8.拝啓、ジョンレノン /  真心ブラザーズ

 真心ブラザーズは、ディランの「マイバックページ」の日本語版カヴァーを聴いたのがきっかけで知りました。90〜00年代に流行ったバンドだと思いますが、今聴いても古臭い感じはなく、かっこいいです。ボーカルのYo-kingはあのYUKIの旦那さんですけど、私はYo-kingの声が大好きです。生まれ変わったらYo-kingの声に生まれたい。

『拝啓、ジョンレノン』は、こんなに媚びてないリスペクトの表現があるのか!と常識を覆されました。綺麗な言葉よりも、こーゆうストレートな表現が、心に響きます。

ジョンレノン、今聴く気がしないとか言ってた3、4年前

ビートルズを聞かないことで何か新しいものを探そうとした

そして今、懐メロのように聴くあなたの声はとても優しい

スピーカーの中にいるような あなたの声はとてもやさしい

 



 

 

 

9.Blowin'In The wind  /  Bob Dylan

 ボブディランはどれにしようかと最後まで悩みましたが、オーソドックスに、ディランを聴くきっかけとなったBlowin'In The Windを選ぶことにしました。

私がディランを好きになったきっかけは、ここに書いてます。

私がディラン好きになった理由 - ディラン好きの日記

この曲をきっかけとして、あえて言わないカッコ良さに憧れたのは私だけではないでしょう。吉田拓郎の『人生を語らず』という曲も、きっとBlowin'In The Windの影響を強く受けたものではないでしょうか。

この曲をきっかけに、今こうしてディラン好きとしてブログを書いているので、間違いなく私を構成している曲です。

友は云う、答えは風に吹かれている

答えは風に、吹かれているんだ

 


Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

 

 

以上、「私を構成する9枚」をシングル曲として選んでみましたが、Beatlesもエレカシも斉藤和義も馬場俊英も星野源も忌野清志郎も奇妙礼太郎もサンボマスターもゴイステも出てない。。9枚に絞るのはとても難しかったです。

ただ、好きなものを選んで再考するのはとても楽しい作業でした。

次は好きな書籍とか映画とか、テレビ番組とかでやってみたいなと思った限りです。

 

ちなみに今私が大ハマりしてるのは、大原櫻子。

 

浦沢直樹展「ボブディランを聴いて歌って描きまくる」に行ってきた

 

世の中がベッキーで湧いている頃、

私の目にはとんでもないニュースが舞い込んで来ました。

 

f:id:dylan-zuki:20160131213807p:plain

 

『2016年 3月 ボブ・ディラン来日公演 決定』

 

f:id:dylan-zuki:20160131215427p:plain

 

私は数年前ディランのLIVEに行き、一度ディランを嫌いになった経験があるので、ディラン来日という言葉を聞くと、トラウマティックに反応してしまうのです(笑)

とはいえ、あの頃から私も成長しているのだし、ディランも変わっているだろうから、これは観ておきたい。いや、ディラン好きとして観ておかなければならない...!

使命感にかられ、ソニーミュージックのサイトを見ていたら、今日のイベントを見つけました。

www.sonymusic.co.jp

漫画家の浦沢直樹さんの個展『浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる』が世田谷文学館で好評開催中ですが、今日は「ボブ・ディラン 聴いて歌って描きまくる」というイベントが開催されるということで、

 

f:id:dylan-zuki:20160131234432j:plain

 やってきました。

 

 

f:id:dylan-zuki:20160131234733j:plain

 

 

 

f:id:dylan-zuki:20160201000634j:plain

 世田谷感がすごいです。

 

 

f:id:dylan-zuki:20160201000727j:plain

 チケット購入特典はBILLY BATのカステラ

 

f:id:dylan-zuki:20160201000833j:plain

私は漫画家・浦沢直樹さんのファンというわけではないし、「ボブディランを好きな人」ということくらいしか知りません。代表作の『20世紀少年』も読んでない。だから「ボブディランを聴いて歌って描きまくる」というイベントタイトルを見たときは、誰かディランを歌う人が別にいて、浦沢さんがそれを聴きながら絵を描きまくるのかと思ってました。だから登場してすぐにアコギをとり、「風に吹かれて」をディラン風に歌う浦沢さんを見て、私はあっけにとられてしまいました。

なんと浦沢さん、この度CDアルバムを出したそうで、ギターは上手いわハーモニカは振るわせるわ歌声は渋いわで完全にアーティストだったのです。

今回はこのアルバムのプロモーションも兼ねていたようで、いくつか自前の歌を披露してくれたのですが、これがまた良かった。全然そんな気なかったのに買ってしまいましたもんね、CD。最後にサインまでしてもらっちゃったんですけど、私が「斉藤和義っぽいと言われませんか?」という(恐らくアーティストの立場だったら、他の歌手に似てるというのは失礼な発言だと思うのですが)質問に、

「実は(斎藤和義と)仲良いんだよ。あいつが俺の真似をしたんや、ガハハ」と気さくに応じてくれて懐の大きい人だと思いました。

さらに私が同世代にディランを共感されないことを言うと、「友達に共感されないだろ?俺もそうだった」と言っていたので、やはりボブディラン好きは皆、周りに共感されず、悶々とした時期を一度は通るのですね。みうらじゅんも同じようなことを言っていた気がします。

 

 

浦沢少年とディランの出逢い

浦沢さんはトークの中でボブディランとの出会いを話してくれました。

浦沢さんもみうらじゅんと同じく、吉田拓郎を追いかけていくうちにディランに行き着いたのだそうです。それはやはり ”よしだたくろうブーム” の中を生きた人らしいし、その世代は皆、よしだたくろう→ディランという順序を辿ったのでしょう。

そして”ガロ”の『学生街の喫茶店』で出てくる ” 片隅で聴いていたボブ・ディラン〜♪ ” というフレーズが気になってしょうがなくなり、レコード屋へ走るのです。

私はたまたま父親が車で流してたPP&Mの「風に吹かれて」を聴いて、ディラン→吉田拓郎というコースを辿りましたが、『学生街の喫茶店』の歌詞でボブ・ディランをもっと知りたくなる気持ちは同じだなと思いました。なんかあの時代の大学生ってカッコよく見えてしまうんですよね。だからその大学生が聴いていたディランって何よ?っていう好奇心が生まれる。

 

浦沢さんがすごいのは、中学2年生で難解なディランの曲を、投げ出さずに一から聴き続けたことです。この時のことを浦沢さんは「何度も逃げ出しそうになった」と表現していました。この気持ちもすごくわかります。私の場合、早々に逃げ出して『Essential Bob Dylan』などのベスト盤に手を出してしまったので、ディランが歩んできた時代の変遷がわからない、という事が起こってしまい、今になって後悔しているところです。

ちょうどそんなことを思っていた時、

今まで発売されたアルバムを一つずつ挙げながら、ディランの活動を振り返るコーナーが始まりました。「この頃は彼女と別れそうだったからジャケットの表情も歪んでいる」とか「3作続けて同じ服を使いまわしてる」とか、解説されなきゃ気付かないことが多く、とても勉強になりました。浦沢さんが発見した「右方向から撮られた写真と左方向からのそれでは顔が違う」という研究はめちゃめちゃ面白かったです。

このコーナーのおかげで、時代の変遷と共に変わるディランの全貌を捉えることができたので、「ボブ・ディラン学」の講義としてめちゃめちゃ面白かったです。ディラン初心者にとっても、マニアにとっても最高の内容でした。

 

 

本当に「歌って描きまくった」浦沢先生

 イベントの趣旨である「ボブディランを聴いて歌って描きまくる」ですが、浦沢先生(ここからは漫画家要素が出てくるので”先生”とします)、なんと文字通りのことをやってのけました。しかもひとりで。

その方法は、

①まずギターでディランの曲のメロディを弾いて、それをループ再生させながら→②ギターをペンに持ち替えて→③モニターに映された紙の上に曲からイメージした描写を描き→④またギターを持って弾き語りをして終わる

 

あまりの素晴らしさに「あんた、誰やねん」とツッコミたくなるような神業でした。『くよくよするなよ』のアルペジオとか最高にカッコよかったです。

 

f:id:dylan-zuki:20160201000930j:plain

 浦沢先生作:ボブ・ディランの大冒険

 

 

f:id:dylan-zuki:20160201001117j:plain

 ディランを愛する人って、ディランの理解できない部分も含めて好きだから、例えディランが期待外れなことをやっても笑い話にできますよね。

きっとそれぐらいの気持ちで見てないと、ついていけないのだと思う(笑)

 

このイベントの模様は、一部LIVE配信してたみたいなのですが、放送前に観客の前だけで流してくれた、モノラル盤、ステレオ盤、リマスター盤の『Like A Rolling Stone』のレコード聴き比べはワクワクしました。当時の発売背景とか、レコードの回転数の話とか、浦沢さんとソニーミュージックの人の解説付きという豪華な聴き比べ。レコードの音を初めて聞いたけどクセになりそうです。

 

とにかく、すごいイベントに参加してしまったな、、というのが感想です。

伝説的な回だったと思います。

今回のようなイベントはレアだとご本人も仰せられてましたが、またやってほしいです。

今まで「浦沢直樹」はすごい漫画家のひとりに過ぎなかったけど、同じ「ディラン好き」として親近感を持つことができました。

今後は漫画家の浦沢先生のみならず、アーティストの浦沢さんに要注目です。

 ちなみに浦沢直樹展は3/31までやってるみたいなので、まだの方はぜひ。

 開催中企画展 - 世田谷文学館

 浦沢さんの歌声が聴けるCDもおすすめです

性善説から生まれた?日本的「空気」の正体とは

 

dylan-zuki.hatenablog.com

先日、とある職場にはびこるムラ社会の物語を書きましたが、もう少し学問的に日本的”空気”というものを知りたいと思い、積ん読してあった、山本七平氏の『空気の研究』を読みました。 

今回はその感想とまとめという形で、「空気が読めない」というときの”空気”、「あの場ではそんな空気じゃなかった」という時の”空気”、それらの正体を振り返ってみたいと思います。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 そういえば去年は戦後70年ということで半藤一利氏の『昭和史』を読んだのですが、著書の中でよく登場したのが、

軍部会議の中で非常に論理的に、マトモなことを述べた者の意見が驚くほど自然に無視され、なんの根拠もない ”感情論” が議題の決定権を掌握していく様でした。

それはまさしく場の”空気”の力であり、半藤氏も第二次大戦における失敗の本質としてこれを挙げているのですが、私はこれを読んだ時から、日本的 ”空気” の存在に関心を抱いていました。この『昭和史』や『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』、そして今回取り上げる『空気の研究』は昔からビジネスマンによく読まれているそうです。それは戦時中の軍組織の失敗が、会社組織においても共通点が多く、大いに参考になるからでしょう。規模の違いはあれ、基本的に「組織」というものには、”空気” が存在し、それが時に論理的な判断を超えて大きな力を持つことに、皆心の中では気付いています。そしてこの 日本的”空気” は戦後、敗戦を招いた元凶として、時には競争の足枷として、論じられていくことになります。欧米を見習い、人々は効率・論理重視の組織作りを目指してきたように思います。しかし、日本人の根幹にある性質は、やはり変えられなかったと言っていいでしょう。国会でも会社でも学校でも、未だ ”空気” というものが、場の決定権を左右しています。

 

『空気の研究』の中で著者は、「日本的儒教精神」を研究の出発点としています。

古く中国から伝わった儒教は、人を思い遣ること(仁と呼ばれる)を最高徳目とし、親子の関係の中で、「礼」を重んじるという精神があります。

面白いのは、儒教は仏教とは異なり、宗教という認識が薄く、当時の知識人は「儒学」という一つの学問として、『論語』を読んだそうです。そうして広まっていった儒教精神は、村という共同体の中で、親子間だけでなく隣人のような他人を敬う態度としても浸透していきます。そのうち「地主」対「農民」のように、統治する者とされる者という、上下関係が生まれ、明確に身分が分けられていきました。個人は組織に対して絶対的な忠誠を持たなければならないという倫理観が生まれたのは、おそらくこの頃です。江戸時代にあった「五人制」などの連帯責任制度は、地主というタテの関係と、隣人というヨコの関係をついていて、日本的儒教観を上手く利用したものと言えます。

つまり日本的儒教精神とは、

本来の儒学における親子間の「義」「礼」が、組織対個人という関係において拡大解釈されてきたもの、と山本七平氏は定義しています。


他方、儒教には孟子の提唱した「性善説」という考え方があります。
これは簡単に言えば、人間には生まれながらに善いことをしてしまう素養が備わっていることを示す思想です。この性善説は、元来人間には悪いことをする素養がないため、異常な行動には、そうさせる外部の力が働いている、つまり、そうさせる情況があるに違いないとする考えに繋がります。

この情況こそが、端的に”空気”を指すのだと著者は述べます。
しかし情況を判断するためには、「基準」を設ける必要があります。戦時下の日本においてそれは、現人神としての「天皇」であったし、現在では管理者、上司、親となるのです。

基準となった対象は絶対視され、その他は平等な立場となると、意思決定の根拠は、言葉そのものの指す善悪を超えて、基準となった対象の意思に従わざるを得ない。つまり絶対的な基準は我々から「超越したもの」であるから、その論理性は問題ではない。仮にその論理的矛盾を指摘する者がいるなら、その人は”空気の読めない者”として排除されることになる。
『空気の研究』より抜粋


孟子以後、性善説を否定する形で荀子という人が『性悪説』を説きました。キリスト教が根付いている西洋ではどちらかというと、アダムとイブの原罪を人は背負って生まれるのだという、『性悪説』寄りの考え方が根付いています。
そのため、キリスト教では絶対的教典として聖書が、イスラム教ではコーランが存在し、”性根の悪い”人間を律するための、規律を設けているのです。

 

私が面白いと思ったのは、論理的なものと対極にあると思える宗教によって、人間は論理的行動をとるようになる、というアンチテーゼです。

キリスト教では聖書の内容が人々の行動の基準となっていて、それは管理者と違って考えが変わったりしない、不変不動なものですから、”空気”といったものに判断を流されません。論理性を武器に自分で決断しなければならないのです。

対して日本ではアニミズムから始まり、神道のように、抽象的なものが信仰の対象になってきました。そして近代以降は、生きている人を”聖書”のようにしてしまったので、言われるがまま、従うしかない状況が生まれた、つまりこれが、論理的な判断を超えた大きな力を持つ、日本的 ”空気” の正体ということなのです。

儒教が学問として伝わったというのも面白い点でしょう。おそらく儒教が宗教として広まっていたなら、『論語』が人々の絶対的な基準となっていたかもしれないのですから。

 

そう考えると、一昔前に「空気の読めない人が増えてきた」という論調が盛んになった時期がありましたが、それは、それだけ欧米文化が日本に浸透してきたことの証明だったのかもしれません。その時は否定的な意味合いであった「空気が読めない」という言葉も、今では肯定的な意味合いをも持つようになっています。例えば帰国子女のような日本的" 空気 ”を知らない人が、日本社会でどんどん活躍していくのを私たちは見ていますし、インターネットで表現方法が多様化し、注目を集めるのは、良い意味でも悪い意味でも「空気を読まない」人達なので、「空気が読めない人」から、あえて「空気を読まない人」を目指す人が増え続けるでしょう。逆に、欧米で ”空気” が生まれるかもしれません。グローバル化とはつまりそういうことだと認識しています。

 

とはいえ、いくら”空気”の存在を否定しようと、日本人の根本的な性質は変えられなかったと冒頭に書いたのは、日本的 ”空気” の良い側面、つまり調和と集団倫理が日本人の美徳として揺るぎないからです。

日本的 ”空気” の良い側面は、間違いなく存在します。それは災害時などの非常事態だけでなく、高度成長期の企業の躍進を支えたのは、ある意味で日本的”空気”だったのかもしれません。予測できないことが前提の未来に対して、集団は一つのルールを創って、それに従い進むことで不安を解消する。これが、人間が集団を作る一つの理由だと著者は述べています。つまり日本的 ”空気" は良いか、悪いか、という議論ではなく、性善説の立場からそうせざるを得ないのだし、組織対個人に拡大解釈された「日本的儒教精神」によって、受け入れられた結果に過ぎないものだと、

最後にこの”空気”の正体をまとめておきます。

 

今の私の関心は、空気の存在しないと言われるアメリカなどの欧米企業では、どのように組織運営を行っているのだろう、ということです。個人主義と組織をどう一体化させているのか、これはもしかしたらインセンティブとかの話に繋がるのかもしれませんが、わかりません。次はその方向の本を読んでみようと思います。

 

陰口ババアが職場をまわす

f:id:dylan-zuki:20160117223217j:plain

 人間関係における悩みというものは、万国共通いつの時代も尽きることはない。

とりわけ職場における人間関係のトラブルは、厚生労働省の調査を見ても、離職事由の中で依然、高い割合を示している。一億総活躍社会とやらを掲げる政権にとっても、この問題は憂慮する事柄だろう。

そこで、離職率の高さで業界トップ5に入る「医療・福祉」分野に属する我々の職場での取り組みを紹介しておこうと思う。

今後の政策立案において、ぜひ参考にしていただきたい。

 

 

私はいま、会社の中で20名に満たない小さな部署にいる。

このような小規模な職場環境は、よく言えばアットホーム、悪く言えば「逃げ場のないムラ社会」「同調圧力の温床」である。

我らが管理者は有能なので、

失敗やミスに対しては、とことん叱責をしてくれるし、

時には他人の意見に揺るがない強いリーダーシップを見せ、自分の経験則から決定を下してくれる。部下たちは皆、その勢いに(足を)引っ張られながら業務に追われている。

問題があるとすれば、

ボロクソなまでの叱責は、直接ミスを犯した本人には伝わらないという点だろうか。

誰も管理者から直接的な注意を受けることはない。管理者を見ても、ニコニコしているだけだ。そのような調子だから、鈍い人間は、自分がいつミスをしたのか気づかないこともある。気づかないまま、気付いたら退職に追い込まれていた同僚の姿もいた。

 

それ以降我が社では、管理者から愚痴を聞いたら、やんわりと、本人へそのことを伝えてあげることが暗黙のルールとなっている。そのことに気を揉む人も多い。

そう、我が管理者は陰口のプロフェッショナル。

本人に直接注意・指導はしないというのが彼女の流儀だ。

ある時私は、そのプロ根性を直接尋ねてみたことがある。

どうして直接言わないのですか?という質問に、彼女は「私、八方美人だから」と言った。美人かどうかはさておき、不動明王のような確固たる信念に泣けてくる。もうどうにもならない。

一番困るのは、直接言ってもらえないため、反論ができないことだ。例えば、よくよく聞いてみると、当事者のミスではなかった事柄でも、濡れ衣を着せられてしまうことがある。知らぬ間に、話があらぬ方向に進んでいることがあるのだ。

仮に組織的な問題によって生じたミスであれば、再発防止策を検討して全体で共有していかなければならないが、愚痴による個人攻撃では、そのような話し合いも持たれないのである。

このような抜群のリーダーシップのおかげで、後に第三者からボロカスに言われていた事実を伝えられた者は皆、ショックとともにモチベーションの低下に陥っている。

これが職場のあちこちで繰り広げられるのだから、愚痴を聞かされている側も、いつ自分が同じように陰口を叩かれているのか、気が気ではない。いや、どうせ言われているのだ、という諦めのムードがすでに漂っている。

不運なのは、彼女の立場が管理者であるという点だ。

この職場のような小さな規模の会社は、日本特有の村社会を形成しやすい。

本来であれば、このような八方美人タイプは仲間内から嫌われる。そして孤立していくのがオチなのだが、それが管理者である場合、職場で一定の地位を得るために管理者の評価を得たいと思う母数が多くなる。

そうすると、管理者の陰口に”そーだそーだ!”を連呼する側近が現れる。その側近たちが一定の立場を得ると、その同調圧力は周囲を覆い、おのず職場全体の空気を形成していく。

今この職場には、バトルロワイヤルのような緊張感がある。昨日味方だと思っていた奴がいつ敵となるかわからない。ものごとの善悪の基準は、すべて管理者の機嫌、好み、経験則。明確な原則を掲げて、今日もあくせく”そーだそーだ!”のシュプレヒコールが鳴り止まない。

このムラ社会にウンザリして去っていく有能な人材を見る度に、私は業界の未来を憂いでしまう。このような管理者が鎮座している限り、国が給与などの待遇を改善しても早期離職を食い止めることはできないだろう。

 私たちが働いているのは、小さな村なのだ。

一人の八方美人によって、八方塞がりとなり、離職へと追い込まれた同僚は今、別の職場で管理者という立場に立っているそうだ。

その姿を見ていると、私自身も身の振り方を考えさせられる。

 

このままではいられない...!

ついには私も、

小さく拳を握り、

立ち上がる。

 

声にならない声で

”そーだそーだ!” 

シュプレヒコールを叫び始めている...!

 

 

いまこそ吉田拓郎だと思う

 

スの極み、サカナクション、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ...

テクノサウンズ興盛のこの時代に、あえて言おう。今こそ吉田拓郎であると

日本の音楽シーンは戦前の演歌に始まり、西洋の影響を受けシャンソン、ジャズ、カントリーを取り込み、そして戦後におけるグループサウンズ、フォーク・ブームへと変遷していった。

大衆と音楽というのは奥深いもので、昔は社会階層に従って、支持される音楽がはっきりと分けられていたという。その昔アメリカでは、

ブルース=黒人労働者階級

ジャズ=黒人知識階級

ロック=白人労働者階級

フォーク=白人中流階級

スイング・ジャズ=白人知識階級 

  (参考:福屋利信http://www.t-fukuya.net/dylan.pdf#search='ボブディランと対抗文化'

というように、音楽はそれぞれの階層の思想性を反映し、一種のイデオロギーを示していたそうだ。したがって、”黒人の聴くジャズというものは規律のない不協和音だ”とか、”白人労働者のロックは商業主義に走った中身のないもの”というように、それぞれがお互いに属する音楽を非難し合う風潮があった。

フォークソングを歌っていたボブディランがエレキギターを抱えてロックをやりだした時、聴衆からの大ブーイングを受けて演奏中止に追い込まれた事実はあまりにも有名だが、その背景には、フォークとロックの間に越えてはならない壁が存在していたことを意味している。

アメリカでは公民権運動、そしてベトナム戦争の泥沼化の時代。プロテストの象徴であったボブディランが音楽に対しても解放運動に乗り出そうとする中、彼のアイデンティティを受け継ぐ男が日本に現れた。

 

フォークシンガー「吉田拓郎」の誕生

戦後の日本においても、アメリカと同様に社会階層によって消費される音楽は分断されていた。とりわけインテリ層には欧米文化をいち早く取り入れようと、洋楽が直輸入のまま広まった。対して戦後間もない頃の大衆音楽(ポピュラー・ミュージック)は依然演歌が支持されていた。

よく「インテリはリベラルで新しいもの好き、肉体労働者は保守的で変化を嫌う」というが、ポピュラー・ミュージックにグループサウンズやフォークが浸透するまでに10年余の時間を要した。これは、庶民が娯楽に興じる生活の余裕を生むのに要した時間と比例するように思う。

吉田拓郎もこの時ボブディランに影響を受け、活動を始めたうちの一人だ。

当時学生運動が盛んであった頃、ボブディランの反体制的な歌詞は、革マル派をはじめとした大学生に支持を集めた。その中でどこか堅苦しいイメージがあったボブディランの”詩的”な部分に、日本的な”情緒感”を組み合わせたことで吉田拓郎は日本にフォークを浸透させ、その草分け的存在となった。この日本特有のフォークは、ロックとの融合において吉田拓郎と長渕剛が、グループサウンズとの融合においてザ・フォーククルセダーズが先導し、”四畳半フォーク”として大衆化されていくこととなる。この時代はさだまさし擁するグレープや、南こうせつ擁するかぐや姫など、J-POPに於ける群雄割拠の時代の始まりだった。

この頃の青春映画を見ると、若者は皆、ロン毛にアコースティックギターを弾いている描写がよく映る。もし私がこの時代に生きていたとしたら、例外なくロン毛で4畳半フォークをしていただろう。或いは「学生街の喫茶店」でボブ・ディランを聴いていたに違いない。

 

音楽も所詮、ないものねだり

ずいぶん話が逸れてしまった。

私がなぜ、今こそ吉田拓郎だと思うのか。

その理由は、先進国となった日本において、消費文化は(いや思想までも)ブームの繰り返しでしかないと感じるからだ。

昔のような、音楽の階級闘争は起こらない。万人があらゆる音楽に容易にアクセスし、それを消費するようになった。若年層と熟年層との間で断絶感のあったジャズでさえも、近年若年層からスポットライトが当たっているように見える。若い女性に人気の星野源の活躍を見ても、その端を伺える。彼はSAKE ROCKとして活動していたインスト時代から汲んだジャズのリズムにポップスを融合したことで、ブームを起こしているとも言えるだろう。

フォーク→ロック→クラブミュージック→バンドブーム→テクノ→パンク・ロック→メタル→R&B→ラップ→ポップス→アイドル→アニメソング→テクノ・ポップ

大なり小なりのブームの変遷を経て、現在の音楽市場は”ノリ”重視のように感じる。

メロディーを埋め合わせるように何度も繰り返される同じ言葉を聴くと、メロディ>歌詞 の力関係を感じざるを得ない。そんな音楽を、私は忌み嫌っているわけではない。若者の一人としてそれなりに楽しんでいる方だと思う。だけれどそれは、一時代のブームとして消費しているに過ぎない。間もなく飽きてしまいそうな感覚が自分の中にはあって、同じ感覚の人は実は結構いるのではないだろうか。

エリート主義を目指した末に、反知性主義がブームになり、いずれまたエリート主義的思想に戻るように、

服で個性を出すことがおしゃれであったのに、いつの間にかノーム・コアがブームと言われ、それに飽きたらまた個性的であることがおしゃれと言われるように、

これからもブームは同じところをぐるぐる回るだろう。

それならば音楽業界における次なるブームは、メロディ<歌詞、つまりは叙述的なジャパニーズフォーク・ロックへの原点回帰とはならないだろうか。

音楽業界がサウンド・テクノロジーを出し尽くしたかどうかは定かではないが、私は少々その種の音楽に疲れてきている。そろそろ一周して吉田拓郎に行き着く頃だろう。いや、そうであって欲しい。そうでなければ、私のボブディラン普及活動は、情緒的な日本特有のフォークは過去の遺物として忘れ去られていってしまう気がする。

 

最後にこれぞ吉田拓郎の真骨頂と言える代表曲をいくつか紹介して終わろうと思う。

 

1、落陽


この曲を聴いて、私の中で吉田拓郎ブームが起こった。

吉田拓郎の歌に共通するのが、短編映画を観ているような情景が広がることだ。

この歌は特に、今ではあまり聞かないような ”すってんてんの” とか ”フーテン暮らし” とか、アンダーグラウンドだけど情がある、爺さんの生き様がカッコよく描かれている。私が特に好きなのが3番の歌詞だ。

サイコロころがし あり金なくし

フーテン暮らしのあの爺さん

どこかで会おう 生きていてくれ

ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった

男の話を聞かせてよ サイコロころがして

 一生を賭博にかける男の生き様、う〜ん、真似できないけどかっこいい。

 

2、旅の宿


全体に響き渡るハーモニカがたまらない。

ここまで”情緒”をまとった歌があるだろうか。

艶めかしさと情緒の融合、これぞジャパニーズ・フォークだと思う。

夏の夜に縁側で聴きたくなる歌だ。

 

3、結婚しようよ


よしだたくろう/結婚しようよ ~歌詞 (1972年)

父親世代のプロポーズの定番曲。この歌で吉田拓郎はメジャーデビューを果たしたらしい。当時の表記は「よしだたくろう」だった。

 

4、夏休み


吉田拓郎 - 夏休み feat. あだち充

 どっかで必ず聴いたことがある。切ない夏休みの歌。

 

5、制服


制服 吉田拓郎 神田共立講堂 1973.6.3

 高度成長期の集団就職の様子を描いている。故郷を離れることの寂しさと都会への憧れの狭間で揺れ動く就活生の心情がなんとも言えない。

 

今日までそして明日から


今日までそして明日から

20代の若者が書いたとは思えない詩。こんな歌を歌ってみたい。

 

 

 尚、この文章はほろ酔いで、雑誌「レコード・コレクターズ」に連載する佐野元春気分で書いたので、偉そうな感じになってしまったことを詫びたい。その時代をよく知らないのに、どこかで伝聞したことに任せて書いてしまったので信憑性がないことも断言しておきたい。

GOLDEN☆BEST 吉田拓郎~Words&Melodies~

GOLDEN☆BEST 吉田拓郎~Words&Melodies~

 

 

 あけましておめでとうございます。