いまこそ吉田拓郎だと思う
ゲスの極み、サカナクション、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ...
テクノサウンズ興盛のこの時代に、あえて言おう。今こそ吉田拓郎であると。
日本の音楽シーンは戦前の演歌に始まり、西洋の影響を受けシャンソン、ジャズ、カントリーを取り込み、そして戦後におけるグループサウンズ、フォーク・ブームへと変遷していった。
大衆と音楽というのは奥深いもので、昔は社会階層に従って、支持される音楽がはっきりと分けられていたという。その昔アメリカでは、
ブルース=黒人労働者階級
ジャズ=黒人知識階級
ロック=白人労働者階級
フォーク=白人中流階級
スイング・ジャズ=白人知識階級
(参考:福屋利信http://www.t-fukuya.net/dylan.pdf#search='ボブディランと対抗文化')
というように、音楽はそれぞれの階層の思想性を反映し、一種のイデオロギーを示していたそうだ。したがって、”黒人の聴くジャズというものは規律のない不協和音だ”とか、”白人労働者のロックは商業主義に走った中身のないもの”というように、それぞれがお互いに属する音楽を非難し合う風潮があった。
フォークソングを歌っていたボブディランがエレキギターを抱えてロックをやりだした時、聴衆からの大ブーイングを受けて演奏中止に追い込まれた事実はあまりにも有名だが、その背景には、フォークとロックの間に越えてはならない壁が存在していたことを意味している。
アメリカでは公民権運動、そしてベトナム戦争の泥沼化の時代。プロテストの象徴であったボブディランが音楽に対しても解放運動に乗り出そうとする中、彼のアイデンティティを受け継ぐ男が日本に現れた。
フォークシンガー「吉田拓郎」の誕生
戦後の日本においても、アメリカと同様に社会階層によって消費される音楽は分断されていた。とりわけインテリ層には欧米文化をいち早く取り入れようと、洋楽が直輸入のまま広まった。対して戦後間もない頃の大衆音楽(ポピュラー・ミュージック)は依然演歌が支持されていた。
よく「インテリはリベラルで新しいもの好き、肉体労働者は保守的で変化を嫌う」というが、ポピュラー・ミュージックにグループサウンズやフォークが浸透するまでに10年余の時間を要した。これは、庶民が娯楽に興じる生活の余裕を生むのに要した時間と比例するように思う。
吉田拓郎もこの時ボブディランに影響を受け、活動を始めたうちの一人だ。
当時学生運動が盛んであった頃、ボブディランの反体制的な歌詞は、革マル派をはじめとした大学生に支持を集めた。その中でどこか堅苦しいイメージがあったボブディランの”詩的”な部分に、日本的な”情緒感”を組み合わせたことで吉田拓郎は日本にフォークを浸透させ、その草分け的存在となった。この日本特有のフォークは、ロックとの融合において吉田拓郎と長渕剛が、グループサウンズとの融合においてザ・フォーククルセダーズが先導し、”四畳半フォーク”として大衆化されていくこととなる。この時代はさだまさし擁するグレープや、南こうせつ擁するかぐや姫など、J-POPに於ける群雄割拠の時代の始まりだった。
この頃の青春映画を見ると、若者は皆、ロン毛にアコースティックギターを弾いている描写がよく映る。もし私がこの時代に生きていたとしたら、例外なくロン毛で4畳半フォークをしていただろう。或いは「学生街の喫茶店」でボブ・ディランを聴いていたに違いない。
音楽も所詮、ないものねだり
ずいぶん話が逸れてしまった。
私がなぜ、今こそ吉田拓郎だと思うのか。
その理由は、先進国となった日本において、消費文化は(いや思想までも)ブームの繰り返しでしかないと感じるからだ。
昔のような、音楽の階級闘争は起こらない。万人があらゆる音楽に容易にアクセスし、それを消費するようになった。若年層と熟年層との間で断絶感のあったジャズでさえも、近年若年層からスポットライトが当たっているように見える。若い女性に人気の星野源の活躍を見ても、その端を伺える。彼はSAKE ROCKとして活動していたインスト時代から汲んだジャズのリズムにポップスを融合したことで、ブームを起こしているとも言えるだろう。
フォーク→ロック→クラブミュージック→バンドブーム→テクノ→パンク・ロック→メタル→R&B→ラップ→ポップス→アイドル→アニメソング→テクノ・ポップ
大なり小なりのブームの変遷を経て、現在の音楽市場は”ノリ”重視のように感じる。
メロディーを埋め合わせるように何度も繰り返される同じ言葉を聴くと、メロディ>歌詞 の力関係を感じざるを得ない。そんな音楽を、私は忌み嫌っているわけではない。若者の一人としてそれなりに楽しんでいる方だと思う。だけれどそれは、一時代のブームとして消費しているに過ぎない。間もなく飽きてしまいそうな感覚が自分の中にはあって、同じ感覚の人は実は結構いるのではないだろうか。
エリート主義を目指した末に、反知性主義がブームになり、いずれまたエリート主義的思想に戻るように、
服で個性を出すことがおしゃれであったのに、いつの間にかノーム・コアがブームと言われ、それに飽きたらまた個性的であることがおしゃれと言われるように、
これからもブームは同じところをぐるぐる回るだろう。
それならば音楽業界における次なるブームは、メロディ<歌詞、つまりは叙述的なジャパニーズフォーク・ロックへの原点回帰とはならないだろうか。
音楽業界がサウンド・テクノロジーを出し尽くしたかどうかは定かではないが、私は少々その種の音楽に疲れてきている。そろそろ一周して吉田拓郎に行き着く頃だろう。いや、そうであって欲しい。そうでなければ、私のボブディラン普及活動は、情緒的な日本特有のフォークは過去の遺物として忘れ去られていってしまう気がする。
最後にこれぞ吉田拓郎の真骨頂と言える代表曲をいくつか紹介して終わろうと思う。
1、落陽
この曲を聴いて、私の中で吉田拓郎ブームが起こった。
吉田拓郎の歌に共通するのが、短編映画を観ているような情景が広がることだ。
この歌は特に、今ではあまり聞かないような ”すってんてんの” とか ”フーテン暮らし” とか、アンダーグラウンドだけど情がある、爺さんの生き様がカッコよく描かれている。私が特に好きなのが3番の歌詞だ。
サイコロころがし あり金なくし
フーテン暮らしのあの爺さん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよ サイコロころがして
一生を賭博にかける男の生き様、う〜ん、真似できないけどかっこいい。
2、旅の宿
全体に響き渡るハーモニカがたまらない。
ここまで”情緒”をまとった歌があるだろうか。
艶めかしさと情緒の融合、これぞジャパニーズ・フォークだと思う。
夏の夜に縁側で聴きたくなる歌だ。
3、結婚しようよ
父親世代のプロポーズの定番曲。この歌で吉田拓郎はメジャーデビューを果たしたらしい。当時の表記は「よしだたくろう」だった。
4、夏休み
どっかで必ず聴いたことがある。切ない夏休みの歌。
5、制服
高度成長期の集団就職の様子を描いている。故郷を離れることの寂しさと都会への憧れの狭間で揺れ動く就活生の心情がなんとも言えない。
今日までそして明日から
20代の若者が書いたとは思えない詩。こんな歌を歌ってみたい。
尚、この文章はほろ酔いで、雑誌「レコード・コレクターズ」に連載する佐野元春気分で書いたので、偉そうな感じになってしまったことを詫びたい。その時代をよく知らないのに、どこかで伝聞したことに任せて書いてしまったので信憑性がないことも断言しておきたい。
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あけましておめでとうございます。
2015年の総括
皆さま、年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。
はてなでぼっち、リアルで充実、ディラン好きです。
私も少し、この1年を振り返ってみたいと思います。
2015年は色々と新しいことにチャレンジした年となりました。
仕事面の変化
まずは転職。急性期の病院から、まったく離れた在宅の領域で働くことになりました。
業種は同じとはいえ未経験の分野に足を踏み入れることに不安も多かったのですが、親切な先輩に助けられながら乗り切ってきた感じです。
途中から陰口ババア管理者に職場を引っかき回されるまでは、心穏やかに仕事をすることができました。まあそのことについてはまたどこかで書きます。
入社して間もない頃に私は、訪問リハビリの役割として「人と対面して話すこと」「健康管理のセーフティネット」を挙げていましたが、半年以上経ってみて感じるのはもっと専門的な役割です。
それは装具の形状や、車椅子の種類の提案だったり、手すりの位置や家具の配置などの環境面に関することの場合もあれば、直接的に身体機能面にアプローチするような細かい技術であることもあります。
治療を受ける側というのは、問題が起きてはじめてどこかへ相談しようと思います。
でも私たちとしては、問題が起きてしまってはもう手遅れ、であることも多いのです。
昔処方された装具が、驚くほど身体に合っていないこともありますし、
診断を受けた段階で、手の施しようがないと主治医に言われたけれど、本当にそうだったのか。疑問に思うこともあります。
でもそれが、10年も20年も前のことだと、もう手遅れになってしまうことも多いのです。それは患者や身内の側からも「やっと慣れてきた(受け入れた)のに、今更変えないでほしい」という意見につながっています。
介護保険サービスは医療の中でも、”サービス色”が強く、基本的に「お客様第一主義」ですので、こうなるともう難しいです。
基本的に患者側は、医師に言われたことを信用し、受け入れます。
受け入れざるを得ない、と言った方が正しいでしょうか。
しかし、私たちからすれば、すべての医師が信頼できるわけではありません。
ろくな検査もせずに診断をつけてしまう医師もいれば、疾患の原因が不明のままリハビリに回される患者もいます。何か困ったときは「年齢を考慮すればいた仕方ない」で済まされてしまいます。
現場の常識ではその診断を疑問に思うことでも、「先生に言われたのだから他に手立てがない」と苦しむ患者に何度も遭遇しました。
そーゆうタイミングで私たちが訪問リハビリに入り、他の可能性を示唆することができるというのは、公衆衛生の観点からも、それ自体がセーフティネットになるように思います。
つまるところ訪問リハビリ業務に必要なのは、広い知識と医療従事者としての経験だと痛感しています。
このことを踏まえ、来年もちゃんとした勉強会へ足繁く通うことでしょう。
生活面の変化
転職に伴い、一人暮らしを始めました。
はじめての一人暮らしだから、仕事終わりに献立考えながらスーパーで買い物するのも色々発見があって楽しかったりする。買い物けっこう頭使うのね。。
— ディラン好き (@dylan_zuki) April 27, 2015
そして私は、おばさん化しました。
野菜がまた安くなってきた
— ディラン好き (@dylan_zuki) May 13, 2015
このままではいけないと思い、始めたのがこのブログです。
4月から始めた『ディラン好きの日記」は、
現時点で読者登録数15、累計アクセス数9548というクソみたいな数字を叩き出しました。
もともと私はネットの世界に疎い人間でしたので、2015年はブログというものを通してネットの世界に初めて足を踏み入れた年でもあります。
その世界には、誹謗と中傷の応酬、あくなき承認欲求、中身のないエロ等、気分を害すものが多かったのが印象的です。そこらへんのことを指摘した記事はこちらです。
反面、ARuFaの日記や暇な女子大生が馬鹿なことをやってみるブログ、Everything you've ever Dreamedなど、それまで出会うことがなかったネットコンテンツの面白さに出会うこともできました。これら有名なブログのことも、今年に入るまで私は知らなかったのです。
夏の終わりには、実際に暇な女子大生のサイン会に行ったりと、リアルな交流を持てたのも新鮮で面白い体験でした。来年もイベント事には積極的に参加してみようと思ってます。
このように色々とネットコンテンツに触れる機会が増えた一年でしたが、ブログを始めてみて、自分が書き手になった時の難しさを痛感しています。
ブログを書く時に私は、何か大きなものに向けて書こうとしてしまう傾向があり、結局何も書けなくなってしまいます。思い返せばブログを開設した当初から同じことで悩んでいますね。
頑張って書いても『はてな』に無視され続け、一向に注目されない中で更新がめんどくさくなり、だんだんブログの無い生活が楽になってきていました。自分のために始めたものではありますが、やはり反応がなさすぎるのも辛いものです。
それでも記事にスターがついたりするのを励みにゆっくりと更新を続けましたが、11月にはついに更新が止まりました。その時の心境がこれです。
相変わらずマメに更新できていませんが、これからはこんなブログでも更新を楽しみにしてくれている数少ない人に向けて書いていこうと思ってます。
来年の目標
最後に来年の目標を記しておきます。
まずこのブログに関しては、少なくとも100記事は書こうと思ってます。
100記事なんて目標が低すぎると思われるかもしれませんが、来年はインプットの量も今年より増やそうと思うので、私にとっては十分高い目標です。
あとは、
文章だけでは書くことに限界を感じてきたので、他のコンテンツにチャレンジしてみようと思います。
具体的にはラジオを考えていて、今ツイキャスやPod castが流行りだしてますけど、そこらへんのものを利用して、来年春頃にアメリカから帰国する友人と一緒に配信してみようと画策中です。
その他にも、ボブディランのものまねに磨きをかけてトークライブを行うなど、色々と妄想は飛躍するばかりです。
そんな当ブログですが、来年もどうぞ宜しくお願いします。
2015年 大晦日
みうらじゅん とは何者なのか
↑
ディランを描いていたらいつの間にか完成したみうらじゅん
みうらじゅん、彼は何者なのか。
“ゆるキャラ”という言葉を創ったかと思えば、
ふたコト目にはエロいことを言い
真面目にマンガを描いたかと思えば、
ふたコト目にはエロいことを言う。
アーティストとしてCDを出したかと思えば
エロいことを言い、
エロい雑誌を集めては
エロいことを言う。
タモリ倶楽部に出てはタモリとニッチなことで盛り上がり、
安斎肇と酒を酌み交わす。
糸井重里は恩人で、リリー・フランキーとも仲が良い。
吉田拓郎を語り、ボブ・ディランを語り、ときにはブロンソンを語る。
美保純でも井上順でもなく
私はそんな、みうらじゅんを尊敬している。
みうらじゅん、安斎肇、いとうせいこう、リリーフランキー、田口トモロヲ…
これらのグループを私はエロデューサーと総称している。(エロい+プロデューサーっぽいから)
彼は何者なのか。
好き勝手に生きているように見えるが、少なくとも楽しそうだ。
なにがここまで私を羨望させるのだろう
彼の周りにクリエイティブな人達が集まるのは、
彼自身がこの世に“ない仕事”を創ってきた、クリエイティブな人間だからだろうか。
だから、
みうらじゅんが仕事について書いた本を出すと聞いて、読まずにはいられなかった。
人は生きていく以上、誰もが成功したいと願う。
その成功パターンは従来2つあった。
一つは、
①高倍率の激しい競争のなかに身を置き、高い山の頂上を目指すもの。
もう一つは、
②誰も手を付けていないニッチな分野に目を付け、パイオニアとして道を創っていくもの。
そして最近ではここに、
③そもそも上昇志向を持たない、贅沢せずに最低限生活できる金を稼いでいければハッピー
みたいな生き方が加わっている。
もし私がこの3つの中で生き方を選ぶとすれば、②以外にはない。
そのような私にとってのロールモデルは、みうらじゅんを筆頭にした、前述のエロデューサー達なのだ。
しかし私は今回、この本を読んで襟を正される気持ちになった。
テキトーに生きているであろう、みうらじゅんは死ぬ程マジメだったからだ。
彼はマジメにエロスクラップ帳を作り続け、誰も興味を持っていなかった地方のご当地キャラを追い続けた。海女さんや仏像に対する情熱も、どれもがブームが来る以前から、みうらじゅんが地道にコレクションし、広めていったものだった。
みうらじゅんが集めるものはどれも世間的には価値がないものだけど、それを切り取って、編集して新たな価値を付けてしまう。
“ない仕事”の作り方をひと言で言えば、ネガティブなものからポジティブな要素を引き出す作業を言うのかもしれない。
つまらないものを、つまらないままにしない
そこにみうらじゅんの真髄を見た。
私がなにかをやるときの主語は「私が」ではありません。実は、私自身はどうでもいいんです。(中略)そもそも何かをプロデュースするという行為は、自分をなくしていくことです。自分のアイデアは対象物のためだけにあるべきだと思うべきなのです。すると、そうなるための一番良い方法を考えるようになる。「私はこうゆう仕事がしたい」という考え方のうちは、逆になかなかその仕事は形になりません。
好きなことを仕事にするのはどうやら大変そうだ。
みうらじゅんによれば、最初は好きであっても、徹底的にその対象物を集め、知り尽くすようにならないと、他人に語れるようにはならないのだという。一時的に語ることができても、すぐ底が見えて、仕事にはつながらないのだとか。ごもっともである。
“知り尽くした!”と言えるまでは、その話題はそっと寝かしておく。それまでのあいだ情熱を注ぎ続けるのは1番大変で、「これが大好きだ!」と自分を洗脳しなければならないのだそうだ。
好きで好きでたまらない!の先に、こんなに素晴らしいものを誰かに伝えたい、という情熱が生まれる。その時人間は没個性的になるというのだ。
果たして私にその情熱があるだろうか。
思えば、“若い世代にディランの良さを伝えたい”と思って始めたこのブログだが、
いつの間にか「俺が、俺が」になってしまっていた。
そして私自身が、ディランへの情熱を燃やし続けられていないことに気付く。
私は正直、ディランのことをよく知らない。人に語ることができないのだ。
おすすめの曲が<初級編>で止まっているのは、中級編を書かないのではなくて“書けない”からだ。恥ずかしながら、私はまだディラン初級レベルなのである。
“マイブーム”という言葉は、みうらじゅんが造った造語だ。
みうらじゅんにすれば、最近ハマっている程度では、マイブームとは呼ばない。マイブームはずっと追い続けていかなければならない。そして他人を巻き込んでこそ意味がある。
そうなると、私の“ディラン好き”はマイブームには達していない。このままでは後世にボブディランを広めることなど到底不可能だ。
手始めにディランのアルバムをすべて聴く所から始めてみようと思う。
この本の中で1番唸ったのは、
“ブームは、若い女性がつくる” という箇所で、確かにその通りだと思った。
若い女性が好きなものには、若い男性が集まり、若い男女にはさらに広い層の男女が集まってくる。若い女性に火がつけば、芋づる式に社会のブームが生まれる。
私の当面の目標は、若い女性にディラン・ブームを巻き起こすことで、どうやってディランを若い女性にプレゼンすれば良いか模索中である。この課題の難易度はEだ。
みうらじゅん という謎の人物に、学ぶことは多い。
彼の企画の売り込み方には、どこか昭和的な泥臭さがある。
その泥臭さは、普段受け身がちな私のような人間は見習うべきだと思った。
タモリ倶楽部に出てはタモリとニッチなことで盛り上がり、
安斎肇と酒を酌み交わす。
清水ミチコは愛人で、山田五郎とも仲が良い。
ラジオで童貞を語り、テレビで日活ロマンポルノを語り、ときにはグラビアを語る。
紫吹淳でも、高橋メアリージュンでもなく
私は、みうらじゅんが好きなのだ。
勉強会に参加したら悪徳セミナーだった
先日、職場の先輩とふたりで勉強会に参加した。
ウェブサイトで見つけたその勉強会は13800円と少々割高だったが、私の専門分野の勉強会ではよくあることだ。
内容は呼吸リハビリテーションについて。朝から夕方まで。それだけのボリュームならなおさらこの値段も納得である。むしろ安い方かもしれない。
不安があったとすれば、講師の名前が公表されていなかったことくらいだ。
たいした問題ではない。だって、「○○リハビリテーション研究会」というお固い名前の組織が主催しているのだから。その組織の名前は聞いたこともなかったけど、誠にそれらしい名前なのだからきっと信頼できる。
会場を開けると30人くらいの受講生が席に座っていた。大々的な広告の割には少ないな、と思った。休日に13800円を払い、わざわざ勉強しようという輩はこうも少ないのか。不勉強な人達を他所に私達は今まさに、価値ある講義を受けようとしている。ワクワクしながら講師が来るのを待った。
しばらくすると、髪を外ハネさせた若い男が登壇した。年齢は30代中半くらいか。
(ああアナウンスの人か…さあ、誰が呼ばれるのだろう?)
外ハネ30代男がしゃべりだした。
「はい、では講義を始めます!」
(…え?)
「えー○○と言います。私は3年間この近くの総合病院で働いてまして、そこはもう高齢者ばっかだったんですよ、ほとんどの高齢者ってあれじゃないですか…呼吸器の疾患を合併しているわけなんですよ。そんなわけで、私のところは呼吸リハビリを専門にやってなかったんですけども、一から自分で勉強したんですね。」
(…うそ?)
「それからすぐ退職して、ヨガと整体のインストラクターの資格をとったのち、自分でこの会社を立ち上げたんです。主にヨガスタジオと、こういうセミナーを運営してます」
(…まじ?)
「まあ自己紹介はこれくらいにして、講義を始めます。」
あたりが少々ざわつく。
そして、どこの馬の骨かもわからない。臨床経験3年の男の講義が粛々とはじまった。
さすが若くして会社を興したやり手なだけある。
自然な流れからのタメ口、上から目線のダブル攻撃で私達を威圧してくる。
横目でチラッと席を見渡したら50代くらいのベテランっぽい人が受講していた。
あの方はどんな気持ちで聞いていたのだろうか。主催者に代わり、私がこのセミナーのアンケートをとりたくなった。
ともあれ会社を興した人間はすごい。
臨床経験3年というハンディキャップをもろともせず、ほとんど全員が自分より経験年数が上であろう専門職の前で、堂々とプレゼンできるのだから。羨ましくて会社を起こしたくなる。
すごいのはそれだけではない。
外からは触れるはずのない骨、触れるはずのない筋肉の触り方まで教えてくれるのだから、もうサイコーだ。明日からすぐ使える!
解剖学の教科書にも、学校の授業でも教わった触れるはずのない骨。その常識を超えてきた臨床3年目。勘弁して。
昼休みをはさみ、午後からは講師が変わるらしい。これは期待。
午後から登壇した講師は、30代半ばの短髪の男で、最初からタメ口全開だった。
(やった!グレードアップだ!!)
「えー、私は最初整形外科で2年勤めてて、まあ整形外科なんで呼吸器の人はあまりいないんだけど、スポーツのパフォーマンスに呼吸って大事ですよね?そこで興味持って勉強したんですー、なんやかんやで会社興しましたー」
午後の講義は触診がメインだったのだが、被験者として前に呼ばれた人が、
「きみ、腹斜筋が弱いねー、もっとここ、しぼらなきゃ」
と公衆の面前で体型をディスられて帰ってくるのを見て、私達はビクビクしていた。
被験者として協力したのに恥をさらされた彼にも、後でアンケート用紙を渡そう。
私は運良く被験者に選ばれることはなかったのだけど、講師が各テーブルを巡回している時に捕まり、両腕を頭の後ろで組まされて、後ろから体を持ち上げられて揺らされた。頼んでもないが、私の胸椎を柔らかくしてくれたらしい。感謝感激雨あらし
おかげで身体が軽くなった感じで、今にも会社を興せそうだ。
講義が終盤に近づくにつれて、私は頭の中で勘定をしてしまった。
一人13800円で、それが30人、会場代を差し引いても…
これはなかなか良い商売かもしれない。
彼らの懐に消えた私の13800円。これをだまされたというのは簡単だ。
だがモノは考えよう。彼らの運営するヨガスタジオに寄付したと考えよう。若い女性がヨガに興じる場所への投資、それならば悪い気はしない。代わりにホットヨガの1講座を私に持たせてくれないだろうか。
次回から私は、1に講師、2に講師、3に講師を肝に銘じておこうと思う。講師が何者なのか明記されていない講習会は大概あやしいことがわかった。
そして私の知る限り、大物の先生ほど言葉遣いが丁寧であるという定説は、いまだ破られていないのであった。
はてなブログをやめようと思った。
ブログを更新しなくなって1ヶ月が過ぎる。
元々まめに更新する方ではなかったけれども、このブログに着手しない1ヶ月は気楽で、とても楽しかった。
こうして一ヶ月も甘い蜜を吸い続けていると、もう元の生活には戻れそうもない。
偉そうなことは言えないけれど、はてなに挙がるブログに、そそられるものがなく興味を失ってしまっていた。
たまに間違ってクリックするエントリは、タイトルの下ネタに釣られて見るものばかりだが、その内容のキモチ悪さに虚無感だけが残る。
私が見たいものは、すでに読者登録している固定のいくつかのものだけになってしまった。
一時は読者欲しさに『注目ブログ』を覗いては読者登録でもしようと思ったけど、読者登録をためらわざるを得ないものばかりでやめてしまった。
いちいち納得しなきゃ努力できない性分なので、興味の持てないブログにイイネを押すことにストレスを感じてしまう。
自分を追い込むために、ちゃっかりブログをPro化したが、金を払っても更新する気になれない。末期だった。
このままフェードアウトしよう。
今なら誰も悲しまないだろう…
そんな折、みうらじゅんの本を読んでいたら、
私は仕事をする際、「大人数に受けよう」という気持ちでは動いていません。それどころか、「この連載では、あの後輩が笑ってくれるように書こう」「このイベントはいつも来てくれるあのファンにウケたい」と、ほぼ近しい一人や二人に対して向けてやっています。
『「ない仕事」の作り方』より抜粋
と書かれていて妙に納得してしまった。
私ははてなブログに期待しすぎていたらしい。
ネタがなければ書いてはならない
書くからにはちゃんとしたものを書かないと
と思っていた。
けれど、このブログにそんな価値など元々ない。
これからは私も、みうらじゅんのように、ただ一人の読者に向けて記事を書こうと思う。
その人にだけウケればそれでいい。その方が楽しく書けるに違いない。
実は、いつか雑誌連載をしたい、ラジオに出演したいという夢もまだ捨てきれないでいる。その割には意識が低すぎると思われるかもしれないが、私にはオフラインでの学習がもっと必要なのだ。専門分野の勉強もしたい。
これからは少々コラム的、或いはエッセイ的になるかもしれないけれども、とにかくもうちょっと続けてみようと思う。
読者の皆様には、今後とも宜しくお願いしたい。
【感想】『学校Ⅱ』にみる教育のジレンマ
幼い頃に見た山田洋次監督の『学校』シリーズ。
特に『学校Ⅱ』が印象的なものとして私の記憶に残っていたのですが、
はて、あの映画は結局なにを言いたかったんだっけ?と
急に気になったので、改めて観てみました。
※これからこの映画を観てみようという人は、ネタバレ注意です。
舞台は北海道の高等養護学校。
主人公のタカシと同級生で重い障害を持つユウヤが、卒業を間近に学校から脱走するシーンで始まります。
西田敏行演じるベテラン教師の青山竜平(りゅう先生)が、ユウヤの担当教員である新任の小林大輔と、この2人を追いながら生徒の成長を回想していく物語です。
吉岡秀隆演じる主人公のタカシは、軽度の知的障害があり、中学時代のいじめをきっかけに人と話すことができなくなってしまいました。そんな経緯があって、タカシは母親に連れられて高等養護学校へ入学することになります。
クラスにはそれぞれに障害を持った同級生がおり、個性的な面々にタカシは出会います。その中でも特に目立つのが、重度の知的障害を持つユウヤです。
このユウヤはいわゆる問題児として描かれており、習字の授業中に墨をぶちまけたり、隣に座っている同級生の給食をぐちゃぐちゃにしてしまったり、暴れだしたら先生達でも手に負えません。
同じ部屋で寮生活をする主人公のタカシも、何度もユウヤのいたずらに遭ってしまいます。タカシの唯一の楽しみは大好きな車の雑誌を眺めることですが、静かに雑誌を眺めてるとユウヤがやってきて、それをビリビリに破いてしまいます。それでもタカシは言葉を発することができず、ただただ耐える日々が続きます。
そんな問題児、ユウヤの指導教員として、新任教師の小林大輔(永瀬正敏)が担当することになります。
若さと正義感溢れる小林先生は、ダメなものはダメ!という信念のもと、体当たりでユウヤを教育しようとします。しかし、どんなに手を尽くしても、規律に従わせようとすればするほどユウヤは暴走してしまい、それに振り回される小林先生は身も心もズタボロになってしまいます。
そんな折、小林先生は先輩のりゅう先生(西田敏行)にユウヤのことでアドバイスを求めますが、「そんなこと僕もわからないよ。手探りでやっていくしかない」と言われるばかりです。これはある意味的を得たアドバイスだと思うのですが、新任の小林先生には酷な話でした。
ある日、授業中にユウヤが大暴れしてしまいます。それは自分のクラスだけに留まらず他の教室に入っては、ひとしきり暴れ回り、また別の教室でやらかすといった具合でした。いつものようにユウヤを止めに追いかけっこをした小林先生ですが、ユウヤがコピー室の紙をビリビリに破いて遊んでいるのを見て、ついに痺れを切らします。
ユウヤを怒鳴りつけてしまったのです。
そこに応援にやってきたりゅう先生が、小林先生を注意します。
「君のやっていることは間違っている」と。
小林先生は、この時点で心身ともに限界がきていました。
本当は普通学校の教諭を志望していたこと、毎日臭いクソの処理と追いかけっこをするために教師になったのではないことを、別の先輩教師(石田あゆみ)に吐露するのですが、案の定、「そんな人が同じ職場にいられると困るのよ」と一喝されてしまいます。
小林先生のすごいところは、それでも辞めずに続けていくところでしょうか。
小林先生はその後も必死にユウヤに付き添っていくのですが、集団生活と規律に押し込めようとすればする程、ユウヤは反発してしまいます。
対してベテランのりゅう先生(西田敏行)は、ユウヤの気持ちを大事にしようとします。ユウヤが大量のコピー用紙を破り捨てることに夢中になっていれば、ユウヤと一緒になって破ります。
「ユウヤは今、これをすることが楽しくて仕方がないんだよ」
と無理に止めようとしません。無理に止めさせようとすれば、さらに心を閉ざしてしまうことがわかるのでしょう、さすがはベテランです。
ここまで観たところで
私がもったいないなと思ったのは、
新任の小林先生は、ユウヤをなんとかしようと一生懸命なのに、それがゆうやにも先輩教師にも伝わっていないことです。
一生懸命になればなるほど、裏目に出てしまっているのです。
こーゆうことはどんな分野でも「新人」によく起こります。
私自身も新入社員の頃に経験したのですが、一般論とか道徳に押し込めようとすると上手く行かないことに必ずぶち当たります。
なぜそうなってしまうのか、その時の心境を思い返してみると、
それは恐らく「言い訳ができるから」ではなかったか、と思います。
どうしていいかわからない時でも、道徳的、とかマニュアル的に「〜であるべき」ことをすれば、例え上手くいかなかった時でも言い訳ができます。
小林先生の場合それは、「学校教育とは集団生活の中での規律を学ぶこと」
という道徳であったのかもしれません。
反対に、自分の考えで通常の流れと異なることをして、その結果失敗してしまったら、言い訳ができません。そこまでのリスクは背負えないというのが新人の本音でしょう。
企業においては、新人教育システムというものがしっかりしている印象があります。
それ無駄じゃないの(?)っていうくらい長い期間を新人研修に充てますよね。
それはそれで問題点があるのかもしれないけど、教育とか医療とか、所謂「現場仕事」の分野では、そこらへんが甘いような気がします。
自分が大変だった新人時代は過ぎてしまえば良い思い出で処理してしまい、振り返ることは稀です。組織的に見直すということがない。そうなると「1年目は大変なものだ」とか「あれがあったから成長できたんだ」と経験を積んだ人間は思い込み、苦行を後輩にも求めることになってしまいます。
「現場から学べ」という風土が昔からあると思うのですが、それは人材が不足している場所では合理的だと思いますし、実際にほとんどのことは現場から学ぶわけです。映画中の養護学校も恒久的な職員不足でした。
しかし人材が不足しているからこそ、もうちょっと(新人の)教育方法を考えても良いのではないかと思います。それは早期離職の歯止めと成長スピードを上げる意味で。
少しずつそういった部分に取り組み始めている教育機関や施設もあるみたいなので、その流れが進んでいけば良いなと思っています。
言い訳をするということは、そうしなくてはならない組織の雰囲気があるということです。「べき論」しか持ち出せない思考停止の人材を育てるのではなく、こと「教育」に携わる分野においては、「ちょっと自分なりにやってみろ、失敗しても良いから」と言ってくれる上司がいることがどれだけ有り難いか。
「個別性」の強い養護学校教育において、そのような人材が増えることは教育を受ける側にとって大きなメリットです。
小林先生に必要だったのは、そういったフォローだったのかもしれません。
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と、ここまで“教育者の教育”について書いてきましたが
実はユウヤを変えたのは、良き理解者である、ベテランのりゅう先生でもありませんでした。
ユウヤを変えたのは、もの言わぬ主人公、タカシ(吉岡秀隆)です。
ユウヤと同じ部屋で共同生活を送るタカシは、毎度ユウヤのいたずらに無言で耐え続けていました。
しかしある時、いつものように授業中にユウヤが暴れだした時、それまでひと言もしゃべらなかったタカシが大声でユウヤを叱ります。
その瞬間、教室が静まり返ります。
「タカシの声、初めて聞いた…」先生達も目を丸くしています。
するとこの声を聞いたユウヤが、素直に席に付き、勉強を始めたのです。
不思議なことに、それからはユウヤがどんないたずらを始めた時でも、タカシの言うことは素直に聞くようになります。
この映画の中でユウヤを成長させたのは、教師ではなく生徒のタカシでした。
精神科には集団療法という治療法がありますが、
他者からの影響は、同じ立場の人間だからこそ説得力があり、素直に受け入れやすいのです。集団というのは、独特なヒエラルキーの産生とともに、“切磋琢磨”という相乗効果を発揮する場合があります。これはピア・サポートと呼ばれ、いわゆる自助グループも同じ目的を持って構成されます。
例えば共同部屋の病室では、同じような病気を持った人が集められることがりますが、これは業務の効率化とともに、患者同士の励まし合いの効力を期待したものです。
私の経験上、同じ病室内でのグループの連帯感が持つ力は、患者のモチベーションに大きく関与するように思います。
タカシがユウヤを変えたように、
教育をする立場にある人間は、生徒同士、或いは患者同士が持つ力を活用すること、
それを選択肢の一つとして持っていたいところです。
私が『学校Ⅱ』を観て感じたのは、①教師対教師、②教師対生徒という二つの側面における教育のジレンマでした。